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2012年9月

2012年9月29日 (土)

サル時代の雌雄分化

真猿集団は、同類闘争(縄張り闘争)を第一義課題として共認しています。ところが、本能に基づく外敵闘争ではなく闘争共認に基づく同類闘争になると、体格が劣るメスは全く戦力にならない存在となり、存在理由を失って終います。その結果、メスは極度に依存性を強め、首雄に強く依存収束する(強固な依存収束回路を形成する)ことになります。他方、同類闘争(縄張り闘争)を闘うオスたちの不全感→揚棄欠乏は大きく、とりわけ性闘争・序列闘争の覇者たる首雄の雌雄充足期待(その中心が性的期待)は極めて大きいものがあります(補:本能的には、オスは性闘争に勝つ為に生きているのだと云っても、良いぐらいです)。

そこで、依存収束したメスたちは、首雄の強い雌雄充足期待(その中心を成す性的期待)に応合すべく、自らの全存在理由をかけて性機能(挑発機能や発情機能)を発達させてゆきました。高度に進化した雌ザルの赤く充血した性器や、年中発情(本能的な発情期の消失)は、その様な雌たちの一念が生み出した肉体改造の結晶なのです(それは、現代の女が化粧やダイエットにかける執念に勝るとも劣らないほど、凄まじいものだったと考えられます)。

かくして、原猿時代の雌雄充足共認(雄は期待形、雌は応合形)を土台として、「雄は闘争と庇護、雌は生殖と充足(性や親和)」という雌雄役割共認が確立されてゆきます。そして、役割欠損を孕んだメスは、首雄の充足期待に応える充足役割(その中心が性的期待に応える性的役割)に収束し、これを第一義的な存在理由とする性的存在となっていったのです。(注:3000万年を経て、これらの「機能」や「役割」はDNAに刻印されていると考えて、間違いないでしょう。)(補:メスの性的存在化は、雌雄役割規範が確立されていない初期は、役割欠損→役割欠乏が原点になりますが、役割規範が確立されて以降は、役割規範そのものへの応合が原点になります。)

この様なメスの性的存在化が、生物を貫く雌雄の差別化の拡大という進化ベクトルに合致した、一つの実現形であることは、言うまでもありません。しかしその結果、メスは首雄や子供を対象とする生殖集団への収束力は強いのですが、外圧を対象とする闘争集団への収束力は極めて弱いという、全的な集団にとっては極めて厄介な問題を孕むことになります。もちろん、メスの性収束は哺乳類の内雌外雄の摂理に基づいており、その摂理を踏み外さない限り、全的な集団として何ら矛盾は生じません。

四方勢至 

2012年9月27日 (木)

男は男であり女は女である。

いわゆる今よく言われている「男女同権論者」たちは、
本当に自分たちの意見は正しいと思っているのだろうか?
オスとメスの役割というのは、もうずっと昔から変わらずにある。
メスは生殖、オスは闘争というように自然の摂理は
誰も侵すことはできないのだ。
それを理論者ぶった愚かな男女同権論者たちは、
女と男の役割を同じにすることが最適だと考え、
正当化している。なんてばかでたことを考えるんだろう・・・
自然の摂理によって成立する生物全てがメスとオスの役割をそれぞれ
担っているからこそ存在し続けているのであって、その摂理を
変えることは不可能であり、仮に変えれたとしたら
人類は存続不可能になるだろう。そういう事態になることを
同権論者たちはまだ気付いていない。

金井みわ 

2012年9月25日 (火)

縄張り闘争と同類闘争

本能レベルでは、性闘争と縄張り闘争は連動して現れます。ところが真猿集団の内部では、(他の群れとの同類闘争の圧力が強い場合)オス間の性闘争は首雄を頂点とする序列闘争という形に様式化(規範化)され、あるいは序列規範(ex.下位の者は上位の者にあいさつする)によって抑止されてゆきます。

何れにしても、性闘争は(離れ猿が首雄に挑戦してくる場合を除いて)集団内部に封鎖され、他方、縄張り闘争は専ら集団間の闘争として現れ(集団内部からは姿を消し)ます。つまり、性闘争は専ら集団内部で、縄張り闘争は専ら集団間で発現します。

本能レベルではひとつながりの性闘争と縄張り闘争が、どうしてその様に分断されて現れ得るのでしょうか?それは、真猿の縄張り闘争が、本能ではなく闘争共認に基づいているからです。(この共認回路を、ひとつながりの性闘争本能と縄張り闘争本能の回路の内、目的とする縄張り闘争の回路に接続させれば、縄張り闘争の本能部分だけが生起します。)

つまり、真猿の縄張り闘争は本能を下敷きとしつつも、それを共認機能によって作動させています。私が真猿の縄張り闘争を、本能に支配された一般の動物と区別して(本能にはない)同類闘争という新しい言葉で表現した理由が、そこにあります。(なお上記の通り、性闘争本能も同様に、規範共認etcの共認機能によって制御されています。)

四方勢至

2012年9月23日 (日)

原猿→真猿→人類のメスの共認回路①

原猿の頃は、まだ集団内(一匹のオスと数匹のメス)は“男女充足共認(オスメス間の期待応望充足)”の段階でしかなく、そこでの互いの意識のズレはなかったように思います。

次に、オス同士の闘争共認が第一義になった真猿集団において、メスがオスの意識の変化を感じていたかどうかですが、変化はメスも感じていたでしょう。
ただ、そこでオスメス間でも闘争共認が図られていたかどうかについては、やはり、外圧を直接感じないが故に共認できなかったと思います。

そしてそこで、メスの自我回路が発現したのではないでしょうか。
オスに守られて安穏していたが為に過酷な外圧に晒されることもなく、闘争共認の大切さも闘争存在としてのオスの有難さも、本当には実感できなかったのだと思います。
実現論では、そこで、『闘争課題を担えないメスがオスたちの白い目圧力に晒され存在不安になり自我が形成された』とありますが、私はそれ以前に、今まで対象としてきたボスの意識の変化によって、メスの側に自我が発現したのではないかと考えます。何故なら、初めからあまり対象としていないオスに白い目を向けられたからといって、それほど存在不安→自我を強く形成するとは思えないからです。
今まで通りの男女充足共認を求めていたのにボスの意識が変化してしまったことによる、「仕事と私(たち)とどっちが大事なの?!」っていう存在不安→他者否定の自我です。(夫がかまってくれない現代の夫婦関係で再び同じ現象が起こったように。)

西知子

2012年9月21日 (金)

何故、プラス回路が重要なのか?

性闘争の封鎖>

 哺乳類は、原モグラを祖先として、その後、原猿や草食動物や、肉食動物が進化し、枝分かれしていきます。
 そして、殆どの哺乳類は、性闘争本能を抑止・封鎖し、集団動物化していきます。

 そのことは、性闘争本能の強化は、確かに進化を促進するひとつの道ではあったが、成体同士が激しく争い合う本能は、やはり哺乳類以前の一般動物から見ても、異常な適応のあり方で、欠陥を孕んでいたということを意味します。

 さて、一般哺乳類の性闘争の封鎖は、まず親和本能を土台に危機逃避回路→追従機能を発達させることによって行われます。
 ここまではサルも同じです。


<不全解消の必要性>

 サルの違いは、特に弱オスに絶えざる不全感が働き続けていた点です(飢えとおびえの)。
 だからこそ、サルは一般哺乳類の獲得した機能に加えて、何が何でも不全を解消する機能を獲得する必要があったと思われます。

 それがスキンシップによる親和機能だけではなく、同一視による安心感を作り上げたと言う事であり(ここまでは相手プラス視の機能です)、不全の揚棄(マイナスを捨象しプラスに収束する機能、縄張りを持つ首雄の怖さを拭い去り、周りとともに闘いに打って出る)を身につけたということなのです。

 勿論弱オスといえども、闘う肉体機能は持っていますし、縄張りの獲得は生存上絶対課題です。(だからこそ闘ったわけです)
 
 但し繰り返しになりますが、サルの場合それを可能にするために不全(=マイナス)を解消する必要があったのです。

 これこそが一般哺乳類と比較した時のサルの決定的特殊性なのです。

北村浩司 

2012年9月19日 (水)

原猿の縄張り闘争と子供の集団への残留

>原猿は集団内のメスから生まれた子供のオスも、集団から追い出してしまったのでしょうか。同一集団にて育て大きくした方がより共認の度合いも深まると思われるのですが。

 モグラや原猿の中期までは子供はオス・メスともに成体になると親から追い出されます。成体になる=縄張り本能が顕在化するからです。従ってその後は元親子といえども 、縄張り闘争の敵同士になります。当然負けたほうは縄張りがなくなり死んでいきます。(非情なようですがこれが縄張り闘争の本能です)
 さて原猿に於いてオスメスが同棲しだした時期は、はっきりしませんがおそらく原猿時代の中期から後期と思われます。この段階ではメスの縄張り闘争の本能は殆ど封鎖されています。
 ですから、おそらく直ちに娘が親の縄張りに残留することになったと思われます。(実際メス残留の原猿が後期に登場)これによってメスの縄張り闘争は消滅します。

 ただし相変わらず、息子は追い出されるままです。

北村浩司

2012年9月17日 (月)

原猿における共感機能の進化の流れ

共認機能は、初めは敗け猿たち(≒若オスたち)の間で、形成されました。そして常に、この敗け猿の中の強者が老首雄を倒して次の首雄になることを通じて、共感機能の遺伝子がオスにもメスにも遺伝してゆきます(注:その変異はY染色体以外の染色体にあるからです)。そして、その様な漸進的な変異が何万回となく繰り返されて、共感機能が発達してゆきます。この若オスたちの進化は適応態に達するまでずっと続きます。

次に首雄とメスですが、首雄は多数の若オス達と絶えず性闘争・縄張り闘争を繰り返しており、強い不全感を孕んでいます。従って共感充足の欠乏も強いと考えられます。それに対してメス間の縄張り闘争は、メスの縄張り数がオスの3倍あり、メスに加わる闘争圧力はオスに加わる圧力の1/3以下です。従ってメスの不全感は首雄の不全感より小さかったでしょう。

従って、まず首雄の性(本能)的期待+共感充足の期待が先行し、それに応える形で(メスも共感欠乏を孕んでいますので)同居するようになっていったのだと考えられます。そして結果としてその方がメスにとっても、出産時の安全や食糧確保上、有利(より適応的)であったので、その方向(同居し、雌雄相互の期待・応合回路を更に進化させてゆく方向)に進化していったのでしょう。

四方勢至 

2012年9月15日 (土)

原猿集団と雌雄(充足)共認

原猿集団のオスは首雄だけです。つまり、オス同士はまだ集団を形成する所まで、共感機能を発達させることが出来ていません(オス同士が集団を組める様になるのは原猿の登場から3000万年も経った、真猿からです)。

しかし、原猿も中期以降、一つの画期的な進化を遂げています。それは、それまで原モグラ同様、夫々の縄張りを持ってバラバラに暮らしていたメスたちが、首雄の周りに集まって同居する様に成ったという点です。つまり、オス同士は集団を形成できなかったけれども、首雄とメスは性的引力を下敷きにして、生殖集団(首雄と数匹の雌とその子供たち)を形成した訳です。

この生殖集団こそ、サル・人類における集団形成の原基構造です(なお、私は後に、人類社会の所で、社会構造を最基底で規定しているのは雌雄関係=婚姻様式であることを、提示するつもりです)。もちろん、この集団は、首雄が闘いを担う闘争集団でもある訳ですが、重要なのは、この集団が共感機能を発展させた充足共認や更には役割共認(例えば、オスは闘争と庇護、メスは出産と親和という様な)によって統合されている(つまり、雌雄共認によって形成されている)という点です。

恒常的に生起する不全感に苦しめられてきた原猿たちが、そのマイナス感覚をマヒさせ、安心感etcの快を感じる回路(共感機能)を発達させてゆく為には、何万回もの漸進的な変異が必要ですが、耐え難い苦痛から逃れる必要がある限り、その様な変異は発生し続けたと考えて良いでしょう。それと並んで、雌雄充足共認もまた、より充足度を上昇させる方向で変異を促し続けたと、云えるのではないでしょうか?

四方勢至


2012年9月13日 (木)

『性闘争本能から縄張り闘争へ』

無性生物における食(養分の摂取)の諸機能から発展して危機逃避や追従や捕食攻撃etcの闘争系の本能が形成されたという説は、概ね正しい。しかし、その様な説を展開している皆さんが見落としている重大な論点が一つある。それは、それら闘争系の諸機能(本能と呼んでも良い)は、全て生殖(原初は分裂)の為にあるという点である。生殖の為の闘争というこの関係は、生命の骨格を成す最も重要な原理の一つだと、云えるだろう。

有性生物においても、この原理は貫徹されている。まず雄に、淘汰適応の必要から性闘争本能が形成される。それに対して雌は出産・育児時の安全や食料の確保の必要があるので、雄のヤリ逃げを防ぐべく閂本能を形成する。つまり、安全と食料を保障してくれる雄に対してのみ閂を解除するという本能である。こうなると雄は、雌と交わる為にはまず縄張り(種によっては巣までも)を確保しなければならなくなる。(実は、ヤリ逃げを防ぐには、もう一つ、雄に生殖期間中の庇護本能もセットする必要があります。)つまり、性闘争本能の次に縄張り本能が形成され、かつ両者は連動しています。これが、私が性闘争=縄張り闘争と表現した理由です。

四方勢至 

2012年9月11日 (火)

哺乳類の性闘争本能

サル社会を解明する為には、サルに引き継がれた哺乳類の本能特性を、概略的にでも押さえておく必要があると、思われます。

哺乳類の最大の特徴は、胎内保育機能にあります。しかし、卵産動物が一般に大量の卵を産み、その大部分が成体になるまでに外敵に喰われることによって淘汰適応を実現しているのに対して、胎内保育と産後保育の哺乳類には、適者だけ生き残ることによって種としてより秀れた適応を実現してゆく淘汰適応の原理が働き難くなります。そこで、淘汰適応が成体後に引き延ばされ、成体の淘汰を激化する必要から、哺乳類は性闘争=縄張り闘争の本能を著しく強化してゆきました。実際、性闘争を強化した種の方が適応力が高くなるので、性闘争の弱い種は次第に駆逐されてゆきます。かくして哺乳類は、性闘争を極端に激化させた動物となっていきました。現哺乳類の祖先と考えられているモグラの場合、性闘争に敗け縄張りを確保できなかった個体(=大半の個体)は、エサを確保できずに死んでゆきます。

もちろん、性闘争=縄張り闘争の本能は、脊椎動物の前から殆どの動物に存在していますが、哺乳類は、この性闘争(=縄張り闘争)本能を淘汰適応の必要から極端に強化した動物だと云えます。その場合、種を存続させる為には、闘争存在たるオスがより闘争性を強めると共に、メスたちの外側で外敵に対応した方が有利です。従って、とりわけオスの性闘争(=縄張り闘争)本能が著しく強化されることになります。モグラの場合、メスも性闘争=縄張り闘争をしますが、オスの闘争はより過激で、その行動圏はメスの3倍に及びます。従って、概ね3匹のメスの縄張りを包摂する形で1匹のオスの縄張りが形成されます。これが、哺乳類に特徴的な首雄集中婚の原型です。

こうして、哺乳類のオス・メス関係を特徴づけるオスの性闘争の激しさと内雌外雄の摂理(本能)、および群れの全ての雌が首雄(勝者)に集中する首雄集中婚の婚姻様式(本能)が形成されました。このオスの性闘争の激しさと内雌外雄の摂理と集中婚は多くの哺乳類に見られる一般的特徴であり、もちろんサル・人類もそれを踏襲しています。

四方勢至

2012年9月 9日 (日)

なぜ「男女同権」なのか?

女性が様々な職に就き、活躍することは喜ばしいことだと思います。
しかし、女性には女性特有の“能力”があります。自分の能力を生かしたい、というのであれば「女性」の能力=生殖や性的な役割を蔑視すべきではないでしょう。逆に言えば、「女性に性的役割がある」と言ったときいい気がしないのは、その女性自身がそのような性的役割を蔑視しているからだとも言えます。


私は女性の「幸せ」が結婚とは申しませんし、「社会で働くこと」を悪いとも思いませんが、女性特有の能力である性的な役割や生殖よりも、社会で働くことが“上”であるとも思えません。

人間は根元的に評価(期待)を求める生き物であると私は考えています。結婚して評価してくれるのは「夫」と「子供」(それも怪しい)だけという現状では、女性が社会に出ようとしても無理はないでしょう。社会に出て皆のために役に立つ“仕事”をしたいというのは、ある一面普遍的な欲求であると考えられます。

しかし、子供を産むという行為は、生物としての役割です。かつ、現在それを放棄して「社会」は成り立つのか?という問題もあります。(男の人に子供は産めませんから)。現在の少子化による高齢化社会、犯罪の低年齢化など、解決できない問題は様々あります。それらはまさに、「私たちが生きている現実の社会」の問題です。

また、女性が1人いるだけで、男性のみの職場のギスギスした感じを和らげることができます。場を和ませる、周囲を明るくする、男の人をやる気にさせる、それらは女性特有の“能力”と言っても差し支えないと思います。その能力を生かすのではなく、「男性並に働く」≒「男性と私権を競って」、得るものとは何なのでしょう?

女性は古来より「働く」ことは“当たり前”でした。「働き」ながら生殖過程でも活躍してきたのです。その当たり前の状態ではない現在の状態=社会の枠組みや固定観念に、疑問を持つことが大切なのではないでしょうか?

本来両立出来ていた仕事と生殖を、「どうやって両立させよう」と悩み、まして「どちらか一方でいい」なんて結論に甘んじてしまうことは、歴史的に見て矛盾を感じます。

そのような社会への問題提起と「男女同権論」は明らかに位相が異なります。
「男なみに働く」ことではなく、女性の本当の幸せとは、皆の役に立ち(≒仕事をして社会や周りに貢献する)ながら、生殖も行うことのできる状態をさすのではないでしょうか?

女として評価されたい・役に立ちたいということと、自分の私利私欲のために私権(地位や出世やお金)を男の人と争うことは違います。
従って、今考えなければいけないのは、現在の家庭第一という常識や社会システムそのものであり、男女同権論という固定観念なのです。

吉岡摩哉

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