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2012年12月

2012年12月29日 (土)

人間に残された本能

10709>理由は、相手を独占したいという欲望がどうしてもわくからです。
自分の遺伝子だけを残したい、というのが生物の根本的な欲求です。
10858>自分の遺伝子は残らず、他人の遺伝子を残すことに協力することになりますから。
10976>生物が、自分の遺伝子を残すよう働きかける、ということは私にも理解できます。
10994>これは私も理解できます。生物の本能としては、他の雄が性の獲得をするのを最大限阻むような行動をとることもあるでしょう。でも、人間は本能だけで行動してるわけではないし、性も繁殖の為というよりも集団形成ひいては社会形成のありようを規定するものとしての位置づけのほうが大きいと思います。

他の生物ならともかく、独占欲が人間の本能的な欲求だとしたら、私には理解もできないし、信じることも出来ません。人間に残された本能は、母親の乳房に吸い付くことと、自分の母親の母乳を嗅ぎ分けること位しかないと思っています。しかも、他の動物のように、母親の乳房のそばへ辿り着くことすらできないのです。そんな人間に、何故独占欲などという本能だけ残っていると考えることができるのでしょうか。独占欲が本能であると考えるのは、情報であり、学習の結果だと信じます。情報や学習によって眠っていた本能が呼び覚まされたと考えることはできるかもしれませんが、でも、それは本能行動とは言えないのでは、と思います。
DNAにプログラムされたものという<利己的遺伝子>という説も、まだ仮説にすぎません。電子顕微鏡下でしか確認できないような物質に意志のあることなど、どうやって確認できるのしょうか。発想としては面白いし、マスコミ・ネタとしてはウケる仮説ですが、やっと解明され始めたばかりの、まだほとんど何も分かっていないDNAに、責任を押し付けるのはまだ早いと思います。

高樋昇

2012年12月26日 (水)

死の戦略

死の意味を深く考えさせる代表例として細胞性粘菌を取り上げたいと思います。細胞性粘菌は、土壌アメーバですが、一般にはその生涯は、胞子→アメーバ(バクテリアを食べます。単細胞で生きています)→<餌がない>→移動体(細胞集合体)→累積子実体→胞子という生活環を描きます。(マクロシストというのがあるのですが、ここでは少し置いておきます。)

この移動体はまさに多細胞の生きものです。移動体にはやがて身を支える柄になる細胞群(予定柄細胞)と、やがて胞子が詰まった実になる細胞群(予定胞子細胞)の二つのグループに分かれます。多細胞生物でいうところの機能的分化が見られるわけです。

移動体ができるのは、各細胞自らが放出するある化学物質cAMP(ヌクレオチドと類似の物質である環状アデノシンモノリン酸、略してcAMP)をシグナルとして相互に送り、集合の過程が始まるようです。また、このcAMPを分解する酵素の分泌などの働きも関連し、シグナルの拡散と、cAMPの濃度勾配ができて自発的に組織化が始まるようです。

*(参考) cAMPは、すべての細胞で基礎的なエネルギー調節に関わっており、細菌では、cAMPは細胞が飢餓状態にあるときに生産されるもので、「グルコース・デストレス・シグナル」と呼ばれ、細胞の主要なエネルギー源であるグルコースが欠乏していることを示しています。*

つまり、飢餓情報によって細胞が集まるということ。そして移動体をつくり、少しでもうまく胞子が発芽しそうな場所へ移動。子実体をつくり背をうんと高くして胞子を飛ばす。飛ばされた胞子は、発芽に適した環境なら発芽し、あまり適していなければ眠って代謝機能を押さえて時期を待つ。(菌類の胞子は休眠体として長い期間眠ったままで大丈夫)。そして、このように胞子を飛ばした後、…柄細胞(体細胞)は役割を終えて分裂能力を失い死んでいくわけです。

もともとのアメーバ状態では、一倍体の真核単細胞生物で、分裂してどんどん増殖していきますから、ネクローシスを起こさない限り環境変動がなければ、原理的にはいつまでも「生き続ける」ことになります。ところが、飢餓状況になると生殖細胞になる細胞と、体細胞のようなそれを支える細胞に分化。生殖細胞は合体して二倍体化した後に、減数分裂(遺伝子組み替え)を行って4個の一倍体細胞(胞子)を作り、「生命」を連続させる…。まさに「死」して、「生」の可能性を胞子に残すということでしょうか。なぜ死ぬのかという哲学的な意味は極めて難しいところでしょうが、少なくとも「遺伝子組み替え(生殖)」と「死」との関連性が高いという事実は認められるところではないでしょうか。少なくとも私は、それほどにこの戦略の重さを感じてしまいます。

少しこの点を補足する例です。体細胞などは細胞の分裂回数の限界がありますが、この限界までに達する期間を分裂寿命と言います。この分裂寿命がある理由としてテロメアの存在がよく上げられます。線状になった染色体の構造を安定に保つための役割としてテロメアと呼ばれる(ヒトでは一万個ほどの)塩基対があり、これが分裂のために短くなって半分の長さほどになると分裂できなくなると言われます。(最近の発表ではどうも、それだけではないようですが。また、テロメア自身も意味のある重要な遺伝子を含むなどと発表されているようです。いずれにしろ、分子生物学的な機構については今後また明らかになっていくことでしょうが…)そして、生殖細胞や造血幹細胞には、テロメラーゼという酵素が働いてテロメアが短くならないようにしているので、分裂寿命がありません。また酵母でも、テロメラーゼが働くので、やはりテロメアは短くならない。そこで、この酵素が働かないようにすると、分裂増殖が止まってしまう。

ところが、中に分裂を続けるものが観察されたそうです。この酵母を観察すると、染色体が環状になっていた。環状になって安定化され、分裂を続けたというわけです。ところがさらに驚くべきことに、この環状の染色体は接合による生殖ができなくなってしまっていたとのことです。つまり、有性生殖に必要な減数分裂ができなくなっていた…。このことは、染色体が線状になり分裂寿命(細胞死)の生じたことと、有性生殖が密接に関連していることを意味しています。死の起源が性の様式の中にあるということでしょうか…。

有性生殖を行う生物は生命の連続(種の連続)のために、予想もつかぬ多様な遺伝子の組み合わせを持つ新生命体に未来を託して、旧適応機能を持つ古い生命体は排除する(死ぬ)という適応戦略をとってきたということでしょうか。そうすると、人類はなぜすぐに死なないのか、という疑問が起こりますが、恐らく直観的には人類の適応戦略がこの本能に基づく機能だけでなく、共認そして観念という機能は遺伝子に還元できないからだということが一番大きいように思います。が、この点はまたいつか考えてみたいと思います。ただし、この生命原理ともいえる有性生殖。その根源的システムを破壊することは全く違う生命体への道をとることであり、人類滅亡の危機を孕むということは確かだと思います。

吉国幹雄

2012年12月23日 (日)

“自分”の子という認識はいつから??

>男性には生まれてくる子どもが自分の子どもであるかどうか、確信は持てません。
>へたすると、他の男性の子どもを知らずに育てることになります。
>男性にとってこれは最も恐れることです。
>自分の遺伝子は残らず、他人の遺伝子を残すことに協力することになりますから。

生物が、自分の遺伝子を残すよう働きかける、ということは私にも理解できます。
じゃあ、嫉妬も、独占欲もない多夫多妻の地域はどうなるのでしょう??
あと、昔の日本の「夜這いの風習」とかも、どうして成立できていたのでしょう??

ますます、わからなくなってしまいました・・

淀川さん、もう少し教えてください!
他の男性のかた、本当にそれって「最も恐れること」なの?

吉岡摩哉

2012年12月20日 (木)

アレルギーは、免疫機能が発する文明への警鐘(2)

母親の体内では、胎児は母親の免疫機能に守られ、無菌状態といわれます。しかし、生まれ落ちたその日から、細菌との共生生活が始まります。大腸菌やビフィズス菌などです。

生態系を考えた場合でも、細菌の種類や数は非常に多く、その果たす役割は重要です。生物から見ての共生と考えた場合にも、循環系の形成と考えた場合にも不可欠な存在です。しかし、殺菌、無菌、抗菌などのブームに代表されるように、人類は菌に対して「ばい菌=きたない=病気」というレッテルを張ってきたように思います。

そして、アレルギーを考えるとき、腸内に定住する細菌が重要であると言われています。腸内に定住している細菌が、外から入ってきた細菌の増殖を阻み、排除する作用があります。体をまもる重要な現象です。食物や飲料水、洗剤や薬品などにより細菌の数が変化してしまいます。これが、アレルゲンの侵入に大きく関わっているようです。

人類が作り出した、化学合成物質は自然環境の中で循環系を形成できずに、数々の環境問題を引き起こしています。そして、体内においては細菌との共生関係を狂わし、免疫機能を阻害しているのではないかと思われます。抗生物質の投与はさらに事態を悪化させている気さえします。

アトピーは、ヒトの免疫機能が発する現代文明に対する警鐘のように聞こえるのですが。

石野潤

2012年12月17日 (月)

アレルギーは、免疫機能が発する文明への警鐘(1)

皆さんのアレルギーの話から、抗生物質を中心とした対処療法の医学とは何なのかを考えさせられました。

さて、皆さんは風邪をひいたら薬を飲みますか。私はほとんど飲まないので、医者嫌いと周りに言われています。ですから、少し風邪気味になろうものなら「医者へ行け、薬を飲め!」とよく言われます。

でも、風邪は薬では治らないというのは、(医者も良く言いますが、)皆さんもご存知なのではないでしょうか。咳やのどの痛み、鼻づまりは確かに辛い。薬はこの痛みや辛さを和らげてくれます。しかし、咳や痛みには意味があります。免疫機能が必死に病原に挑むから、生じる痛みともいえます。

野口整体の、野口晴哉は「大病する体は風邪をまめにひかない。」とまでいっています。風邪を経過していくことで、少しづつ体が育っていく。そうして体を育てていくことで大病にかかることなく、「自然の健康」を保つことができるとも。

人類は、豊かさの追及のなかで、不快なものを排除することを無条件に良しとしてきたように思います。病気であれば、その痛みを取り除く薬は多々開発されています。しかし、それでは、体の抵抗力が育っていないのかもしれません。

自分の体が、頑張って適応しようとする、その「痛みにつきあう」という心持も必要なように思うのですが、いかがでしょうか。少なくとも何十億年もの試行錯誤と淘汰の上に形成された免疫機能に対して、現代医学はいまだ足元にも及ばないという自覚が、まず必要なのではないでしょうか。

石野潤

2012年12月14日 (金)

アレルギー体質の人はいない!

近藤文人

>国立ウリン病院の医者は「花粉症やアトピー性皮膚炎,ぜんそくなどのアレルギー性疾患の患者はいない。」と語る。もっとも,塩分の高い水や,汚れた水が原因で12歳以下の子供の病気の9割が下痢という厳しい現状もある。


今の医学でも科学でもそうですが、何かのカテゴリーに分類し、整理して安心し、治療法や解決方法を探してしまう傾向が特に強いと思います。
これは、弊害なのかどうか?(個人的には、弊害と思っていますが・・)
論理的に整理すると言う意味では、必要と思われますが・・・どうでしょうか?

それによってかなりの狭い分野での研究がなされているのは理解できますが、総合的な歴史や精神構造などとの抱き合わせの検証と言うのは、なかなか出来かねる部分が、現状あるように見えるのです。(素人考えですが・・・)

るいネットの実現論から、その枠やカテゴリーに囚われない自在な発想をいま、求められていると読み取るのです。

アレルギー反応の検査をいくらしても、見つからないアトピー性皮膚炎や喘息の子供が確かに多いのです。
IgE抗体の正常な子供が、なぜそうなるのか?
今の医学では、説明がつかないようです。

そこには、精神的な問題や母親の胎内のホルモンバランス(母親の精神状態も含む)などの影響は、少なからずあると思います。

また石油製品の界面活性剤や世界一塩素濃度の高い水を供給する日本における水質汚染の問題もあるでしょうし、大気汚染の深刻化の問題もあると思います。

今日も、緊急経済対策で、マイナス成長を食い止める為の、カンフル剤射ちが、内閣でも議論になっているようですが、何か根本的に、違うようなきがしてなりません。

いき付くところは、多分、今の経済や政治を変えない限り、このまま状況は悪化すると思うのです。

アレルギーの問題は、みなの切迫した現実の問題になっています。
総合的判断の可能な科学に発展することが、今後の課題となり、その結果は、みなにわかりやすく理解できるものであることを切望します。

2012年12月11日 (火)

死の戦略

>古細菌は「自己と非自己の認識がうまくできなかった」からミトコンドリアという侵入者を免疫機能を働かせて退治しなかったのではなく、自然免疫で非自己(侵入者)と認識しながらも受け入れたという考え方の方がしっくりくるのではないでしょうか。<

私も、そうであったそれが(つまり受け入れていく)というのは基本的な戦略であったと思います。しかし、この意味を再度捉えなおすと違う意味が見えてくるのではないでしょうか。違う種である「ミトコンドリア(の祖先)」を細胞内に受け入れるということは、細胞内の秩序維持はとても大変だったというレベルではすまないでしょうね。マーギュリスの言う食い合いかどうかは別にしても、たとえば自らの遺伝子が変異すればその酵素が変わってくるそれを制御する遺伝子も変えないといけない、ところが他種の酵素が生み出されてくる…。これはとてもじゃないけど、普通は維持できませんね。だから、私はほとんどが「共生死」したのだと思います。「死」をかけてでも、受け入れ戦略をとったというのが正しい表現だと思います。それが、その古細菌にとっての最大の可能性収束だったのでしょうから。「死」が「生」の裏側にあります。

>ガン細胞の問題は複雑ですね。ガン細胞はもともと自己の健康な細胞が変化したものなのに、もともと仲間だった自己の細胞たちを死に至らしめるのですからね。< 

ガン細胞はどんどん増殖するから困るわけです。つまり、死なない細胞だから。免疫系のところで少し触れましたが、免疫とは確かに最終的には受け入れられない(協同作業できない)バクテリアやウィルスを殺す(排除する)ことですが、例えばこれらの病原菌が細胞内に入った場合は、その切れ端を細胞表面に掲げて免疫系に知らせるわけですが、それは何を意味するといえば、細胞ごと免疫系により殺されるわけです。つまり、細胞は個体を守るために死を選択していることになります(実際は選択ではなく、死のスイッチが入るというほうが的確かもしれませんが)。死ぬことによって生を全うしているといえますし、「死の戦略」を持っているがゆえに、適応しているともいえるでしょう。これは、DNAの修復機構でも見られることです。ここでは具体的な酵素名などはは省略しますが、修復不可能な場合は、細胞はDNAを切断されて死ぬことになります。修復の最大が「死」ということでしょうか。つまり、細胞「死」によって、個体を生へ導く最終の修復機構ということでしょう。がん細胞はその死の修復機能が働くなっている状態ということですね。一般にはこれらはアポトーシスの「生体防御」にあたるのですが、「死の戦略」は適応戦略において極めて重要な機構(機能)ではないかと思います。

吉国幹雄

2012年12月 8日 (土)

有性生殖の機構について

>遺伝子組み替えの性としての多様性の獲得を実現しながらもオスかメスかの区分はあまり重要な意味を持ち得ていないように思えるからです<

私は、「性」の持つ適応戦略としての意味として、原核生物から真核生物までの共通性として「遺伝子組み替え」に注目し、直接的(直観的には)にはそれは多様性の獲得ということだろうと考えています。もちろんそれだけでは性分化の問題全ては語れないでしょうね。鈴木さんのおっしゃるように、特に爬虫類以降オスとメスとが完全に固定的に分かれていったのはなぜか、それはどのような戦略か、を押さえないといけないでしょうね。

>しかし、ほ乳類以降の系統の動物は様子が異なるように思います。
体内保育というメスの生殖負担の増大に伴い、オスであることメスであることの意味にはっきりとした違いを見てとれるようになります。オスメス分化と言った場合はこの意味合いの違い(種の中での役割の違い)に着目した戦略を指すように捉えています。<

実現論でも触れられているように、ほ乳類においては生殖負担の増大に伴いオスメスの分化が機能分化さらに役割分化というように、単に「多様性」だけでは片付けられない一面がありますね。しかし、逆に「生殖負担の増」という視点だけでは、現在の男女問題を押さえるためにもそれでは、男女の根源的(規定的)条件としては十分ではないのではないでしょうか。進化積層体としてオスメス分化(性分化)を捉えないと、極論ですが、「生殖負担の減」で男女差が小さくなって当然という主張にもなりかねないでしょうから…。その意味では、「遺伝子組み替えによる多様性の獲得」は原核生物から行われている極めて根源的な戦略ですから、まずこの点は十分に押さえておきたいと思っています。

でも、ご指摘の通りまだまだ一面的・蓋然的な捉え方に過ぎないと思います。まずは「有性生殖」という観点で、もう少しこの戦略の持つ意味、あるいはその影響を掘り下げてみたいと思います。

まず、ご存知の通り有性生殖では減数分裂という特殊な分裂を行います。このとき、前回指摘した遺伝子組み替えが起こるわけです。これは、まずDNAに切断が入り、DNAの組換え(交叉)を行った後で、再統合されます。複製や二倍体そして核分裂のところで修復機能についてよく議論されますが、実はここで働く酵素はDNAの修復酵素と共通するものが多いそうです。DNAの組換えの機構は、DNA修復機構から派生してきたものと考えられます。つまり、もともとは減数分裂の機構とは別なものということです。

そして、細菌にもF因子によるオスメス分化は見られるわけですから、オスメスの性分化とも別に減数分裂の機構は独立して獲得されたものといえるでしょう。実際に減数分裂はミジンコのような単為生殖でも見られますから。だから、現在の一般的な有性生殖の機構成立のためには、遺伝子組み替えと減数分裂とそして、「死の機構」が組み合わされて出来上がったと思われます。減数分裂と絡むところでは二倍体の問題が大きいとは思いますが、やはり「性」の「生」戦略を考える時を、「死」の戦略を考えざるを得ないだろうというのが私の考えです。

「死の機構」「死の戦略」については、また改めて述べたいと思います。

吉国幹雄

2012年12月 5日 (水)

免疫系に見られる認識、階層と構造について

私は過去、T細胞の認識について以下のように述べました。

>T細胞は、直接的には「非自己」なる異物を発見し、それと反応することはできない。「非自己」には見向きもしない。「非自己」は「自己」の中に入り込み、「自己」を「非自己」化するらしい。<

T細胞の認識は同類(マクロファージ)が違うものに変わったこと(抗原提示)を認識して初めて排除の指令をだすわけですが、>その意味では、同類(仲間)認識が第一であるというのはまさに根源的な認識として免疫系においても塗り重ねられていると思います。<

しかし、考えてみればなんと悠長(冗長)な認識ではないでしょうか。私は再度三つの点を押さえておきたいと思います。
第一に、根源的な認識は、同類(仲間)を受け入れるための認識であるということ。正確には、それは集団(内部環境・場)への受け入れである点。

第二に、免疫の認識系においても塗り重ねられている点。自然免疫から獲得免疫への塗り重ねは、脳における脳幹(延髄・橋・視床下部・視床)から大脳(基低核・辺縁系・新皮質)への塗り重ねや、C系(アドレナリン作動系)・B系(セロトニン作動系)・A系(ノルアドレナリン作動系、ドーパミン作動系)という神経系の塗り重ねにも通じる点であると思います。だから、実現論で言うところの、本能・共認・観念機能における認識機能も塗り重なっていると考えるべきでしょう。さらに、それは免疫系でも神経系でも、アナログ的な認識からデジタル的な認識への移行と見ることもできます。

第三に、例えば各要素(細胞)における大風呂敷的で、まるで冗長的な認識と、上位階層である集団の高度な認識との相違点。要素における認識と集団における認識と置き換えてもよいかと思いますが…。

例えば、異物が集団(内部環境・場)に受け入れられる。直接的にはマクロファージであったり、T細胞であったり…。敵と認識しての攻撃とはほど遠いものです。場合によっては、異物によってその細胞は死を迎える危険性(ひいては集団が死滅する危険性すらある)があるにも関わらずです。そして、要素の小さな動きとしてそれを排除するシグナルを出すと、そのシグナルは加速されて集団全体(集団としての認識)として排除に動きだします。抗体を作り特異的な動きが現れます。私は、これは次のように考えられるのではないかと思います。

なぜ、下部の要素において初めから特異的に排除しないのか。それは、集団(場)の生命体としての適応戦略の一つではないのかと思います。下部の階層において、さまざまなゆれ(ゆらぎ)を受け入れる(許容する)のは、集団が多様な変異可能性(活性)を孕むためではないでしょうか。もちろん、集団が破壊されるような揺れは制限されるでしょう。つまり、上の階層(場)の情報によって、それぞれの要素のゆらぎ(自由度、あるいは不安定性と捉えてもいいですが)は規定される(場の秩序つまり安定。場の絶対性)。しかし、逆にそのゆらぎゆえに上の階層の変わるうる可能性を持つ。つまり各要素に活性(不安定からくる揺動力)を持たせている。何らかの要因でそれが大きくなれば、場は一気に変わりうる可能性を持つ。ある意味ではこれが上の階層の持つゆらぎです。つまり免疫系のゆらぎです。生命体はそのようにして内部環境を絶えず変えていっている(つまり進化している)と思います。

吉国幹雄

2012年12月 2日 (日)

精子と卵細胞、そして母体

先ず、1つ目の受精での精子細胞質の融合の件です。

確かに、精子には最小限の細胞質しかなく、精子発のミトコンドリアは消滅し、卵子系譜しか残らないというのが定説ですね。そこから、精子の細胞質は全て分解されて受精卵には継承されないと言うことですか。

しかし、2点ほど疑問が残ります。

先ず、第1点目は、精子の先端部分(主に膜と先端の細胞質)は、卵子の膜を潜り抜ける役目をもっている。この先端部分は、受精後は、受精卵の着床部分に集まり、母体の免疫機能を中和させる機能を担っているようです。この件は、紹介サイトがないかと調査中です。
胎生の哺乳類の場合には、着床した受精卵は母体とは免疫上の抗原・抗体関係になってしまいますので、受精卵の方に、母体の免疫に対処する機能が必要なんです。人の場合にこの時期が、ツワリの時期ですね。

第2点目は、精子の尾っぽです。細胞には、細胞分裂する際に重要な役目を果たす、チューブリンという構造があります。運動機能の要素です。運動性の尾っぽには、このチューブリンが集中する。受精卵に継承される運動性(分裂の際の運動性)を保障しているのは、精子系譜のチューブリンではないかと思うのすが。チューブリンは、二倍体細胞に進化する際に、重要な役目を果たし、減数分裂に際して発現する機構として、リン・マーグリス女史が強調している細胞質です。

精子系譜は、DNAのみである。受精での精子の役目は、DNAとしての情報受け渡しあるというのは、非常に単純で分かり易いのですが、受精という機構はそう単純ではないと考えています。

質問の2つ目ですが、確かに卵の巨大化は卵の栄養袋が大きくなるのですね。厳密にいうと「卵細胞」と栄養袋、尿袋を加えた「卵」とは区別が必要ですね。
前回の投稿を、卵総体としてお読みください。
卵の巨大化(卵生)の系譜は、爬虫類と鳥類で頂点に達し、卵の数は多くても七~八個までですね。排卵時には卵分割は始まっておらず、長い孵卵(親鳥による抱卵)段階が必要ですね。

それに対して、胎生の系譜は、受精後に卵分割がすぐ始まり、母体に着床することで発生が進んでいく。哺乳類の場合も、胎生の子供の数は、十数匹が最高でしょうか。胎生の場合には、免疫機能の問題、胎児への栄養補給の問題など、母体の負担はより大きく、より長い期間となり、機能も高度化していっていると考えます。

村田貞雄

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