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2013年5月

2013年5月31日 (金)

生物多様性のなぞ、その実現構造1

蘆原さんの、徹底した「オスは悲しき弱体生物?」シリーズの最後の内容にも関するところですが、以前「可能性の蓄積をめぐる問題点」(28445)で提示した問題「生物多様性のなぞ」について。 

>オスの役目は、遺伝子の多様性のインキュベーターとしての機能(2887828903)+危険な時or病気でメスの代わりに死ぬこと(内雌外雄本能、遺伝病で死ぬことにより遺伝病因子を集団内に一定以上上昇させない)+オス同士の競争でメスに選択されたもののみ子孫を残せるということにより環境変化への適応スピードを上げること。ざくっと言うと、生を賭けた実験で新たな適応可能性を拓いていく、そんな風に捉えられます(メスはどっしりと安定して現状の適応状態を守る?)。<(28981、蘆原さん)

上記内容は、「性システム」と「性闘争(淘汰)」さらに「種という生物学的構造」に見られる、二つの相反する機能(多様性と同一性。あるいは活性と安定。)を示唆しています。「活性と安定」については、安定化のためには絶えず揺動(変異)する必然があると、過去何回か触れましたが、多様性と同一性についてはもう少し検討する必要があると思います。

例えば「性システム」。通常の有性生殖やF因子などにも見られるように、確かに「遺伝子組み合わせ」による多様化(へテロ化)が実現されます。しかし、このシステムは蘆原さんも指摘しているように、修復機能や再生機能という側面も非常に大きいわけです。その意味においては、「性システム」は種というレベルで捉えると「種の同一性を維持するためのシステム」、という意味が極めて強いわけです。種の秩序維持システムとして性システムがあるといえます。だから、現存する生物・種を観察すると「性のシステム」は極めて変動しにくいものとなっています。

それならば、多様な生物が生まれるためには、遺伝子(群)そのものが多様に変異すれば、その中で適応的なものだけが生き残り、多様な生物を生み出したのではないか、という考えがすぐに浮かびます。カンブリア紀の生物の多様性と、それ以前の多様な遺伝子変異はその正しさを予想させます…。が、細胞についての以下のような観察事実に注目する必要があります。

「培養によって人為的に細胞を増殖させると、本来細胞が持っていた染色体構成(染色体の数や形態)と異なる構成をもつ細胞集団が生じてくる。また、動物の細胞培養で本来の染色体を完全に維持している細胞株(クローン)が作られたとしても、一定の分裂回数に達するとクローン全体が死滅する。逆に、植物の細胞などは培養条件下で増殖だけを繰り返す細胞株を得ることができるが、『分化』する能力を既に失っている。

上記の解釈の詳細はここではおいて置くとして、バイオテクノロジーの基礎技術では、染色体の変化が集積するのを回避する方法として、細胞の組織化と再分化を早めに行わせることが取られているようです。つまり、培養条件下においても「組織化された状態」は、細胞の染色体がさまざまに変化するのを防ぐわけです。この状態を同一性(保存)と呼んでもよいし、個体や種の維持と捉えてもよいのですが、明らかなことは、生物が増殖されていくためには、細胞の分裂(複製)では完結せず、個体や種というレベルで初めて成立している。」(『進化1』東京大学出版会 4章.生物階層構造:山元皓二)

つまり、染色体(DMA)は絶えず変異しようとしているが、個体や種というレベルで同一性維持のために制御されているということでしょう。もしそうであれば、遺伝子変異による多様性は、個体や集団(組織)によって制御されるということになります。しかし、カンブリア紀における多様性は、どうも遺伝子変異の方が組織(個体・集団・種)変異よりも先に起こっているらしい。これをどのように説明するのか。


吉国幹雄

2013年5月28日 (火)

いい嫉妬・悪い嫉妬?

>自信のない男(女も?わからないな。)ほど束縛がきついと思います。しかし、嫉妬深い、というのと自信がない・束縛したがるというのはイコールで無い様にも思います。
 

自分の彼女(彼)が他の男(女)と親しげにしているのをみると、「心穏やかでいられない」心情が湧いてくる人は多いと思います。

これを一般的には「嫉妬心」というのでしょう。自分の方だけ向いていて欲しいという独占願望と、それがかなわぬ現実(まさしく現実)のあいだでおこる、不安・不満・敵視・否定視といった想念が中心になっていると思います。
しかし嫉妬の心をさぐってゆくと、なにかもっと本質的な情動も含まれているような感じがします。しいて言えば「もぐら時代から受け継ぐ性闘争本能」がもたらす心のざわめき?みたいなものを。

たとえば、メス(ならびに縄張り)をめぐる闘争に際してオスがライバルに対して嫉妬するわけがなく、あるのは戦いに勝つため「より強くあろう」、という課題だけです。(ちょっと人間臭い表現ですが)
性闘争本能」というと他者を蹴落として自分が生き残ろうという、現代人の感覚(観念)では忌み嫌うべきニュアンスがありますが、本来はきびしい外圧(自然や外敵)に晒される中を生き残るために獲得した「強くある」ための適応本能であって、別に邪なものではないはずです。

本能レベルでみれば「強くある」ことだけにつながる情動が、人間の邪な意識を潜り抜けるとそれがわきに置かれて「嫉み」「妬み」にすり替わってしまう。これがいわゆる嫉妬の正体なのではないかと思います。

嫉妬心にさいなまれるのはごめんですが、その大元をたどれば闘う男の(女の?)活力源でもあるわけです。自分たちの情動をある程度構造的に認識できれば、その肯定的な側面を意識することも可能です。
嫉妬心を否定的にみるだけでなく、その元である本能を、情動を、まっすぐに働かせて活力にしてゆく、というのもこれからの男女関係のあり方の一つかもしれません。

阿部和雄
 

2013年5月25日 (土)

オスは悲しき弱体生物?⑧<そして…オスの存在意義Ⅱ>

これでもかという感じですが、

Natureの日本語訳(サマリー)には、こんな報告も…

>野生化したニワトリの雌は順位の低い雄の精液を排出する

おいおい(^^;)

>父親になるかどうかは、雄どうしの精液の競争によって決まることが多い。雄はまた、特殊な行動や体の構造を使って、雌がどの精液を授精に用いるかを操作できる。

>しかし、こうした雄による操作から独立して、雌が好みの雄に利益になるように精液の利用を偏らせることができることは、まだ明らかにされていない。雌雄の繁殖上の利益が異なる場合や、雌が交尾を強制された場合には、雌は雄ごとに精液に対して違った反応をすると予想される。

>今回、野生化したニワトリの雌では大部分の交尾が強制されること、また雌が一貫して好みの雄の表現型を選び、貯留する精液を偏らせることを報告する。

>雌は順位の高い雄との交尾を好むが、順位の低い雄に交尾を強制されたとき、雌はその授精の見込みを、順位の高い雄の行動を操作して低下させる。もしこれが失敗すると、雌は雄による操作がいっさいない状態で、雄の順位によって精液を区別して排出し、順位の高い雄の精液を選択的に保持する。

順位が低かったら、必死で××してもメスが精子をうけつけてくれない。悲しき弱オスの精子はむなしくどこへ泳いで行くのか…


オスが強い・えらそうだというのは、実は見かけだけだったということが分かっていただけましたでしょうか。しかし、このオスの在り方には、進化適応上の重要な意味があると思われます(じゃないと報われない^^;)。

>オスは進化適応態として、常に外圧を捉え「進化の先端を担う」ことに特化してきたのだと思います。(msg:26201 村上さん)

同感。

オスの役目は、遺伝子の多様性のインキュベーターとしての機能(msg:28878、msg:28903)+危険な時or病気でメスの代わりに死ぬこと(内雌外雄本能、遺伝病で死ぬことにより遺伝病因子を集団内に一定以上上昇させない)+オス同士の競争でメスに選択されたもののみ子孫を残せるということにより環境変化への適応スピードを上げること。ざくっと言うと、生を賭けた実験で新たな適応可能性を拓いていく、そんな風に捉えられます(メスはどっしりと安定して現状の適応状態を守る?)。

一つ一つの個体を採り上げたら確かに悲しい存在かも知れませんが、生物集団において立派に意味があるじゃぁありませんか(^_^)。

<シリーズ終わり>

蘆原健吾

2013年5月22日 (水)

外圧状況が「生物学的構造の進化」の方向性を規定している。

ご紹介の「地球と宇宙の雑学事典」(的川泰宣監修,日本実業出版社刊)の加筆・訂正版のなかで、気になった記述がこれです。


>カンブリア紀にこれほどの種が登場したのは、肉食生物の出現にあるという。肉食生物たちが、弱肉強食の修羅場を生き抜くために、体の基本的なデザインをすべて試したのである。
この過酷なカンブリア紀を生きのび、その後も二億年近く栄えた生物に三葉虫がいる。化石もとびぬけて多い。文句なしに当時の海の王者であった。しかし、この三葉虫以上に重要なのは、カンブリア紀に登場した魚類である。とくに硬骨魚という仲間だ。大きさは数cmから五〇cmくらいで、不ぞろいなひれをもち、体がよろいのような甲羅で覆われた奇妙な魚である。天敵のウミサソリから身をまもるための甲羅であったらしい。カンブリア紀後期になると、この甲羅がある種の魚の頭に入り込んで骨となり、つづいて体の大黒柱となって脊椎に進化した。最初の脊椎動物の出現である。<


キーワードは、「肉食生物」と、「脊椎動物」ですね!

背骨ができたことによってどういう意義があったのか?
・・・よく言われるのは運動能力の向上。
改めてご紹介の リンク
の映像をみると早く泳ぐための努力の痕跡がみられるような・・・

この時代の進化は、「もっとハヤク」を目指す?
そうでなければ食べられないための防御を目指すか(だから甲羅?)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

>同じような特殊化は、感覚器官と神経細胞の特殊化、捕食・消化器官の特殊化、全ての必要な生物機能、器官が一斉に全体再生の能力を捨て、先端特殊化の階層に飛躍したと見たらどうでしょうか。 (村田さん)<

細胞の特殊化に関係しているのが分子シャペロンかもしれません(よくわかりません)それにしても、あたかも各生物に意思があるかのように目的の「生物学的構造の変化」を実現していく「意思」のようなものを改めて感じます。

生物学的構造のデザインは、突然変異→自然選択 とか、獲得形質の遺伝とか、そういうレベルではないような気がしてきました。もっと明確な目的性・意思を感じます。
・・・意思というとちょっと飛びすぎているかもしれませんね。
でも、「外圧状況が生物学的構造の進化の方向性を規定している」くらいのことは断言していいと思います。いや、もっとぴったりくるのは「可能性収束」実現論1_1_01 というコトバですね。


長谷川文

2013年5月19日 (日)

同類を殺す摂理などありはしない

>しかし「人を殺してはいけない」とは、人間が創り出した社会的強制である。では「なぜ人は人を殺すのであろうか?」自分はその答えが「生物の掟」であり、唯一の真実ではないかと考える。(26851 hiroさん)

特殊な淘汰適応した種でない限り、同類を捕食したり殺傷したりする生物はいない。哺乳類の性闘争=縄張り闘争も生物全体から見れば、特殊な淘汰様式である。それでも、同類を殺しているわけではない。縄張りから追い出すだけである。

>胎内保育と産後保護の哺乳類には、適者だけ生き残ることによって種としてより秀れた適応を実現してゆく淘汰適応の原理が働き難くなる。そこで、淘汰過程が成体後に引き延ばされ、成体の淘汰を激化する必要から、哺乳類は性闘争=縄張り闘争の本能を著しく強化していった。(実現論1_3_04)

弱者ゆえの特殊な淘汰様式ゆえに、その後大型化して適応した哺乳類には、例外なく集団本能が強化(再生)されている。群れをなして生活する馬のように、雄同士の縄張りを廻る闘争は封印されて行く。

これは、サルにおいても基本的に同じで、同類との闘争は集団の縄張りを守るためにあり、殺傷して数を減らす事にあるのではない。「弱肉強食」という見方そのものが、私権時代特有の「自分の利益のためには、弱いものを利用する」という考えの反映ではなかろうか。

>それが殺人・戦争等の人間特有の自虐行為(人間が人間を殺す事で数を調節する)であり、これを可能にする為に人間は知能を得たのである。これらの行為は他の生物には殆ど見られず、あったとしても種の危機を招く様なものではない。掟における人間の知能は、くだらない欲で人を殺せる自我を生み、医学等の技術進化に比例し、核・生物兵器による大量殺りくの危険も増す皮肉を生じさせている。(26851 hiroさん)

と言われるように、人類固有の、私権時代固有の問題である。しかし、知能が自我を生み出すわけではない。生命原理の反するような行為を正当化するためには、現実を捨象することが不可欠となる。これを可能たらしめているのが自我である。

>性的自我こそ、人類の全ての邪心の源である。現にこの狂った性的自我は、規範破りの私的な性関係を構築し、その私的関係を核にして(駆け落ち邪心集団→掠奪集団を形成し)、最終的には集団を破壊していったのである。(実現論2_1_02)

そして同じ私権時代にあっても、それが異常であるがゆえに、封印される方向に歴史は進んできたのではなかろうか。


石野潤

2013年5月16日 (木)

体内保育のパラドックス。人類のこれからは。。

丁寧なレスありがとうございます。
身体の性分化も脳の性分化も種としての適応戦略として捕らえるとぐっと、その意味がつかみやすくなってきますね。

体内保育の延長

雌の生殖負担の増大=雄の闘争負担の増大
なのに、外圧環境が胎児には全く届かない(=矛盾)

だから、
・精子の淘汰
・身体・脳において雄化への関門
   がしくまれて雄の闘争能力を維持する。


>人類の突破機能が共認機能であり観念機能という脳の発達と密接な関係があるゆえに、また体内の過保護空間を突破するためにも、当然母親のおなかの中にいる時から、母親の意識やまわりの意識(母子関係や仲間関係、集団との関係、つまり共認関係)によって、絶えず影響を受けるようなシステムを人類は育児システムとして作り上げてきたと思います。それゆえに、人類における体内保育は、身体的性の分化から来る現実的な分担ではあっても、それは脳の性分化(社会的役割)に直結する重みを持つものだといえます。(吉国さん) <


ちょっと現代の話にジャンプしますが、最近の新聞などを読んでいると、子育てを見直そうをいう動きを感じます。(子育てサークル、等々)
なにか、このままでは、人類はヤバそうだと皆が感じている。
子育てだけじゃなくて、闘争面においてもそうです。
男女の役割をめぐって女は家庭・男は会社というような枠はもう今の社会にはマッチしない、→だから男女平等→でも、社会全体をみてみるとなんか変。よい方向にむかっているとは思えないような事件がたくさんおきています。
半分あたってるけど、半分抜け落ちてる、そんな感じ。
抜け落ちている部分は何なんだろうな・・・とずっと面はゆい感があったのですが、自分たち(男女)のそもそもの成り立ちを無視して社会を考えてるところが抜け落ち部分じゃないかと吉国さんの投稿を拝見して思い当たりました。
どんな生き方が自分たちにあっているのか、答えの糸口は人類がどんな適応戦略をとってきたのか生物としての根源的なところにあるように思います。

身体の性分化は脳の性分化を生み出し、さらに社会システムを作り出した。
切り離しては考えられないなと思いました。


長谷川文

2013年5月13日 (月)

死ぬことで適応可能性を獲得した

>死とは、私たちの遠い祖先が敢えて選んだ生き方ではないでしょうか。
>言わば、死ぬことによって進化する機構であると思います。

単細胞生物は環境条件が許す限り無限に増えます。とにかく可能な限り増殖することで種を保存する戦略です。ところが、この戦略は分裂した細胞が最初の細胞と全く同じものとなり、みんな同じですから、環境が変化すると全滅する危険性が高い。全滅しないにしても環境がほとんど変わらない限られた条件でしか生存できません。

雌雄分化した生物は、変異可能性・環境変化に対する適応可能性を飛躍的に高めました。ここでは雌雄に分化するだけではなく、遺伝情報を伝える生殖細胞と身体を構成する体細胞に分化します。

生殖細胞は、とにかく増殖するという単細胞時代の戦略を引き継いでいます。精子も卵子も単細胞で多数生まれますが、受精に至るのはほんの一部です。種を保存するにはまず個体数を増やすことが前提条件で、そのためには単細胞の増殖戦略が一番適しています。だから生殖細胞はこの戦略を採り続けているのでしょう。

ところが、体細胞では増殖戦略ではやっていけなくなります。体細胞は各々が役割分担をしており、むやみやたらと増殖できません(むやみやたらに増殖するのは癌細胞です)。むしろ細胞の死を、特に成長過程では有効に活用します。オタマジャクシがカエルになるときに尾がなくなるのは、尾の細胞が死ぬからです。人間の手ができる過程でも、まず肉の塊ができてから指の間の細胞が死ぬことで指ができるそうです。「個体発生は系統発生を繰り返す」のが事実だとしたら、不要な細胞が死に、環境適応上必要な細胞に特化することで生物は進化してきたのかもしれません。

ところが環境は刻々と変化しますが、死んだ体細胞を復活させて一から始めることはできません。それでは環境が変わった場合の適応が難しくなります。だから、体細胞は一代で全部チャラにして、遺伝情報を受け継いだ生殖細胞から体細胞を一からつくりなおすことで、環境変化に対する適応可能性=変異可能性を高めたのではないかと思います。これが個体の死という生命現象ではないでしょうか。

冨田彰男

2013年5月10日 (金)

人類の体内保育と脳の性分化

>身体と脳はまあ、別物ではない、密接に関連していることは承知なのですが。
生殖負担のちがいは脳の進化にどうかかわってくるのか???<(25891、長谷川さん)

長谷川さんのおっしゃるように、脳の性分化は性行動と社会的行動に関わってくるわけですから、捉え方として生殖と闘争という側面から性分化を切開するというアプローチと、性分化を体内保育(母親の内部環境=胎児の外部環境)という視点から捉えるアプローチとがあるのではないかと思います。もっとも、どちらからアプローチしても、結果的には、適応戦略、適応機能の一環でしょうから繋がってくるとは思いますが。

まず雌雄分化について、実現論[実現論1_2_02]では次のように述べられています。

>従って雌雄に分化した生物は、適応可能性に導かれて進化すればするほど、必然的に雌雄の差異が大きくなってゆく。それは、雌雄が同じ役割のままでいるよりも、オスは闘争・メスは生殖という風に役割分担を進めた方が、より種としての環境適応力が高くなるからである。<(実現論1_2_02

まず、母親の生殖負担というときに、単なる雌の性行動から捉えるのではなく、生命体・種としての適応戦略、つまり闘争・生殖の両面を抑えた上での役割分化であることを忘れてはいけないと思います。脳については、[25904]で触れたようにホルモン系が先行して、あるいは身体的性分化が先行していくのですが、高等生物において性行動や社会的行動(役割)の分化が進めば、脳においても分化が見られます。鳥類でも雌雄の脳の性分化が見られるわけです。従って、哺乳類特有ではない。しかし、人類ほど雄性化の関門が高い生物はいない…!

哺乳類は、弱者からの可能性収束として、卵を母体内で育てるという体内保育(ある意味では効率のよい過保護の育児戦略)という選択をとりました。この最大の弱点は、卵が外圧にさらされない(淘汰圧力を受けない)ということであり、従って原モグラでは、実現論[実現論1_3_04]でも触れられているとおり、性闘争によって個体淘汰を行うことで外圧へ適応してきたわけです。そしてサルは、同類闘争・さらに種間闘争に対して共認機能を発達させ大脳進化させてきました。その適応機能としての脳の発達のためには、この時点で体内保育期間を延長させる必要があったと思われます。それゆえに、雌は生殖負担が増大し、集団は雄が闘争を雌が生殖を主に担うための内雌外雄という同心円の構造をとらざるを得なくなったと考えられます。

しかし、裸のサルの人類は木に登れず自然外圧に適応できないという本能不全に陥り、原モグラの適応環境まで(あるいはそれ以上に)後退したわけです。徹底的な弱者に陥った人類は、大脳をさらに発達させて観念機能を獲得し危機突破を図っていきます。そして、サルよりも、さらに体内保育期間は分娩可能なぎりぎりの限界まで延長されることになります。ますます雌の生殖負担が増大したわけです。

しかし、体内保育期間の延長は、原モグラよりもさらに大きな矛盾を抱えることになります。つまり、当然その分、雄の闘争負担を増大させなければならない。つまり、雄の闘争力(人類の闘争力とは、共認機能観念機能)を高めなければならない。しかし、体内保育期間が延長されるとは、体内の過保護な環境が延長されるので胎児に淘汰圧力の働かない期間が延長されることを意味します。ここに、大きな矛盾(パラドックス)があるわけです。外圧環境が胎児にまで全く働かないということです。体内保育は必要であるが、闘争力の貧弱な弱者を生み出しては、戦力にならないという矛盾です。そこで、体内の淘汰圧を高めるというのが、「雄性化のための種々の関門」の意味だと思います。

長谷川さんの指摘された身体と脳の性分化についてさらに付言するなら、人類の突破機能が共認機能であり観念機能という脳の発達と密接な関係があるゆえに、また体内の過保護空間を突破するためにも、当然母親のおなかの中にいる時から、母親の意識やまわりの意識(母子関係や仲間関係、集団との関係、つまり共認関係)によって、絶えず影響を受けるようなシステムを人類は育児システムとして作り上げてきたと思います。それゆえに、人類における体内保育は、身体的性の分化から来る現実的な分担ではあっても、それは脳の性分化(社会的役割)に直結する重みを持つものだといえます。


吉国幹雄

2013年5月 7日 (火)

性分化のパラドックス、その5(脳の性の2)

まず、もともと神経はホルモン分泌細胞から進化してきたわけだから、ホルモン系と密接な関係がある=協同的でなければならないという意味で、ホルモンの言葉を受けて基礎構造ができていくというのは当然のように思います。脳ですら、免疫系の中に組み込まれていることからも、進化的にはホルモン系(あるいは免疫系)の上に塗り重ねられているのでしょうから。

そうすると、むしろメスの脳というのはホルモンが働いていないのか、というところが単純な疑問として登場します。…実際には、胎児は母親の羊水の中で、免疫系も含めて胎盤を通してさまざまなホルモンの影響を受けています。

…そのうちでもきわめて重要なものが、視床下部を中心に男でも女でも広く脳内で見られ、脳下垂体前葉から分泌されるホルモン、親子親和物質(もともとは根源的な集団物質であると考えられる)オキシトシン([1824317274]参照してください)ではないかと思います。このことは、母親(あるいは仲間や集団)との親和が不十分であると、脳の発達が遅れるという事実とも符合します。だから、脳の性分化については、次のような表現が適切なのではないかと思います。

【脳の形成のためには、必ずホルモン(オキシトシンなど)の作用が必要であり、雄性化のためにはさらに性ホルモンの作用が必要である】

つまり、男の脳となるためには、「Yの淘汰」「身体的性分化の淘汰」さらにまた高い関門「脳の性分化の淘汰」というさまざまな内部の淘汰圧力が用意されている、ということでしょう。これが、男は出産の前からストレスを受けているという高田さんの[25257]につながるのでしょう。本当に、すごい仕組みです! 

だから、もし途中の仕組みがうまく働かなかったらという特殊事例を想定して、人間はもともと女になるように作られているのだ、という後ろ向きの発想ではなく、進化適応態として男の性が、なぜにかくもこのような関所をくぐり抜けるべく期待されているのか、何に可能性収束させるべく男の性があるのか、そのような視点でこのパラドックスは捉えるべきではないでしょうか。


吉国幹雄 

2013年5月 4日 (土)

意識生産においても男女の役割は明確

>しかし今の時代、外敵との戦いにおいて必ずしも体力的に勝っている方が勝利をおさめるわけではありません。…
 目の前にある外敵と闘うとき、重要なのは自分が男か女ではなく、どうすればベストを尽くして闘えるかであると思う。<

 これからは、体力や武力や資本力が制覇力ではなく、認識力、共認力で勝負が決する意識生産の時代になります。
 そこで、意識生産という生産、闘争様式においては、男女による能力差、適性がなくなり、同じような役割を担うことになるのでしょうか?

 答えは、ノーです。それは、学校という世界しか知らない、あるいはせいぜい勉強の競争しか知らない学生が勘違いし易いところですが、生産の本質は闘争です。そこでは、同類闘争に勝ち抜く闘争本能や闘争集団を率いる統率能力が勝敗を決します。
その点において男と女は、単に、体力的に身体構造が異なるだけではなく、脳回路構造(意識)も異なっています。サル以降の歴史を見ても、生殖を主たる役割とし、肉体的にも特化したメスは子育ての縄張り確保のためにオスに依存し、オスの性的期待に応え、闘争のサポートもする。オスは、メスの期待に応えて闘争を担って縄張りを確保し、メスを庇護するというスタイルは貫かれています。
 したがって、メスにとって、闘争や統率は、やや遠い、あるいは、オスを通した間接的なものです。実際、これまでの経験では、人の上にたって皆を率いてゆきたいと望む女性は(これほど男女同権が叫ばれているにも関わらず)ごく僅かしかいません。もちろん、男と一緒になって軍隊で戦いたいと言う女性がそうすることを否定はしませんが、ごく一部の女性の要求にばかり目を奪われて大多数の女性の望み(それは現実でもある)を捨象するのは、本末転倒であり、現実を無視した観念論(都合の悪い現実を捨象した欺瞞観念)だと言わざるを得ません。


2013年5月 1日 (水)

性分化のパラドックス、その4(身体的な性)

遺伝的性から身体的な性を巡ってです。まず、基礎的な知識から。

「SRY遺伝子の機能は、胎生早期の未分化な性腺を精巣に分化させることである。いったん精巣が形成されると、以後はSRY遺伝子の有無とは直接に関係なく、精巣から分泌されるホルモンによって性の分化は進む。胎生期の精巣からは男性ホルモン以外に、抗ミュラーホルモン(AMH)が分泌され、AMHによってミュラー管が退縮・消失する。一方、ウォルフ管は精巣からのテストステロンによって分化発達する。これに対し女性ではSRY遺伝子がないので精巣が形成されず、したがってAMHも分泌されないから、ミュラー管は退縮することなく分化が進んで、卵管、子宮、膣といった女性性器が完成する。ウォルフ管はテストステロンの分泌がないために次第に消失する。」(『脳と性』下河内稔:朝倉書店)

つまり、精巣または卵巣の形態的特徴を備えるようになってから、次いで生殖輸管系とその付属腺、さらに外性器を含む外部性徴が形態分化をとげ、成体期になって男女別々の形態が完成する。この生殖腺の発達(性分化)は、精巣から出される「アンドロゲン」「AMH]の2種類のホルモンの分泌によって決定され、これらがうまく分泌されないと仮に精巣があっても、内外の生殖器は女性型になるという特殊事例もある…。だから、もともとは人間の身体は遺伝的性に関わらず、イブになるようになっている、というのだが。

すでに、[25546]で触れたように、人間の胎児は受精後7週ぐらいまでは、身体的には男でも女でもない状態、厳密には男にも女にもなれるような重複した生殖器官の原基をもっている「性的両能期」と言われます。男性生殖器となるウォルフ管、女性生殖器となるミュラー管の両方を持っているわけです。従って、この胎児における身体的性というのならば、未発達ではあっても多くの下等動物に見られるような、むしろ雌雄同体であるといった方が適切な表現です。ミュラー管のみが形成されているわけではないですから。だから、もともとイブという表現は適切ではなく、事実は以下のような表現になります。

【人間の身体的性は、両性機能(雌雄同体)を下敷きにしており、そこから単性へと発生は進む】(もちろん、両性とは中性ということではありません。自家受精できないものがほとんどです)このことは、人類だけでなく動物一般に見られる現象。その意味では個体発生は系統発生を繰り返す、つまり塗り重ね構造であるということを示しています。

ここで、注意すべきは性がどうにでも決まるような「あいまい」なものという意味ではないという視点が重要です。実際に4週ぐらいの10mmより小さい胎児の時に、すでに生殖細胞はできているという事実からも、決して性システムがいいかげんなものではないということは明らかです。つまり、必然的な性分化のシステムである!

しかし、精巣から分泌される二つのホルモンがなければ、身体的な男の性が実現されずに女の体になるというのは、一体どのように捉えたらよいのでしょうか。

私は思うのですが、やはりこれは淘汰の一種として捉えるべきだと思います。つまり、身体的な男になるための性淘汰であるというところに焦点を当てるべきであると思います。遺伝的な性におけるY染色体の淘汰に続く、第二の淘汰です。

【身体的男性へは、ホルモン(→免疫系)によって淘汰される】

何らかの理由で、精巣を作りながら、男という身体的性を獲得できなかったものが、集団の中の個体として、男でないもの(女性)として生きるようにセットされているということだと思います。あるいは、胎児のおかれている環境が母親の内部であって、その基質は女の基質ゆえに、男の身体的性を獲得できなければ、当然ながらその基質に一致するということかもしれません。…いずれにしろ、それは次代の種の存続に関わらない形で集団の中で生きていく役割を担うようになっているのではないでしょうか。ただし、胎児の段階で死ぬという割合も結構高いのではないかと推察されます。

ところで、男子と女子の出生比率はほぼ1対1になっていますが、受精段階での比率は流産した赤ん坊の性別判定から類推して、男は女の1.5倍ほどだろうという推測があります。これは、伴性遺伝子に個体に不利な遺伝子がヘテロのオスでは表れやすいので、流産しやすい、だからオスは弱いというような見方が多いようです。しかし、上記の点も含めて、私はこれはオスの淘汰が遺伝的性の発現後も進んでいるのだ、という見方の方が適切ではないかと思います。


吉国幹雄

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