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2013年6月

2013年6月30日 (日)

生命の上陸作戦からのメッセージ3(生命構造)

栄養豊かになった「汽水域」。しかし、それは海生域で生命活動を営む生命体にとっては、過酷は自然条件であったことには変わりはない。それは現在でも、汽水域に住む生物種は決して多くないことからも分かる。一体何が困難な条件なのか。それは、海水から淡水への適応とも絡む問題である。

つまり、「浸透圧」の問題である。海水中の塩分濃度と体内の塩分濃度が違うことにより発生する浸透圧が問題となる。

海に住む魚も淡水に住む魚も、実は細胞内液の浸透圧は生理的食塩水のそれと同じである。海の魚は飲んだ3.5%の塩水を0.7%まで減塩して細胞内液としているからである。逆に淡水の魚は塩分ゼロの環境の中で、細胞内液の塩分濃度を確保しているのである。

そうすると、この浸透圧差によって、海の魚では海水中にいることで大変な脱水が起きている。なぜならば、水分子は塩濃度の低い方から高い方へと移動(拡散)していくからである。逆に淡水の魚では反対にどんどん水ぶくれとなってしまう。それを調節する仕組みが、例えば「ナトリウムポンプ」の減塩装置や、「カルシウム」を確保するための生命維持装置としての「骨(リン酸カルシウム)」や「腎臓」のシステムが出来上がっていかないと、適応しにくいことになる。

*ここでは、詳しいシステムの話は省略。ただ、カルシウムの話はとても面白いので関連サイトを興味ある方は見てください。参考図書として、『新カルシウムの驚異』藤田拓男(講談社ブルーバックス)があります。
リンク


このように見ていくと、栄養豊富となった「汽水域」の適応の難しさがはっきりしてくる。「汽水域」は海と川の両方が交じり合う所。ということは、浸透圧の変動が大きいということを意味する。従って、生命維持という条件においては、汽水域は決して豊なニッチということにはならない。

『生命40億年はるかな旅2』(NHK出版)によると、5億年前にオウムガイ(頭足類)の出現とほぼ同時期にアランダスピスなどの無鰐類の魚が登場したが、運動量に勝るオウムガイとの闘争に破れ、古代の海の制海権を奪われた初期魚類は、逃げ場を「汽水域」に求めた、ということらしい。種間闘争とその逃避可能性を高めた(栄養豊富な場所だが生存条件の悪い)自然環境ができていたからだろう。そして、やがてアランダスピスから発達したプテラスピス(初期の魚)は、この「汽水域で」困難な浸透圧の壁を突破して、見事に適応していったのである。

この適応のシステムは置いておくとして、しかし問題は、なぜそれまでして細胞内の濃度を一定にしておかなければならないかということだろう。

原始の海は、塩分濃度も極めて薄かったと考えられている。マグネシウムとカリウムが主成分の海から、やがて地殻(海底や陸地)からのナトリウムやカルシウムが流れ込んできて、塩分濃度は少しずつ高まってきたと考えられている。従って、生命体が発生した頃の海の濃さを(環境)を、生命体はそのまま内部に取り込む形で、体外の塩分の濃度変化に対処してきたのではないだろうか。

その典型が、羊水である。本格的な陸生動物である爬虫類、鳥類及び哺乳類は、合わせて羊膜類と呼ばれるが、いずれも産卵、受精及びその後の生育は完全に陸上ですすめている。しかし、陸生とはいえ、実は卵内の羊膜という袋の中に羊水と呼ばれる液をため、その中で胚の発生は進む。依然として、肺は水の中で育つのである。人間もしかりである。そして、胎児が浮かぶ羊水の成分は原始の海そのままともいわれ、成分が安定している水深2000メートルを流れる深海水と、ほぼ同じ塩類を含んでいるという…。

生命体は、さまざまな適応システムを作り上げて上陸作戦を成功させた。その困難さの最大の原因がなんと原始の海の保全であるとは…。それほどまでに、生命体が誕生した「母なる海」を基盤とした、変えることのなき「生命構造」…。ここに、進化を遂げた生命体からの第三のメッセージが聞こえてくる。

【生命体がどのように進化しても、生命という基礎構造は不変である】

おそらく、この生命構造が変わるとき、全く新しい現在の生命体とは違う「なにか」に変わってしまうのかもしれない。そして、それは地球生命圏が受けれいれられない何かであるかもしれない。人類を始めとする生命体が、そうならないことを祈る。

吉国幹雄

2013年6月27日 (木)

生命の上陸作戦からのメッセージ、その1(「あわさ」)

村田さんの生命の地上への進出に関する三つの問題提起(31122)に対して、個間闘争圧力=活力について(31217)で前回述べさせていただいた。この「海から陸へ」という進化の流れは、系統発生上も個体発生上も自明のことであるが、確かに村田さんの仮説にも関連するが、この問題は、適応論上あるいは可能性収束論上も見直してみる必要があるように思われる。

さらに、この問題「海から陸へ」の進化は、生命体から捉えれば生物学的構造を変えて、あるいは旧機能に新しい機能を塗り重ねていって、新ニッチを獲得したということだが、生命圏という階層から捉え直せば、「海」という構造(海生圏)をきっかけにして、「陸」という新構造(陸生圏)が生み出されてきたわけで、現存の地球生命圏の登場という画期的な位置にある。

村上さん、山本さん、山名さんも意見を述べられているが、私の注目したいのはこの二つの構造を結び付ける「あわさ」の部分を巡ってである。

まず、植物史を大きく単純化すれば、藻類→コケ植物→シダ植物→裸子植物→被子植物という図式が描かれるが、4億年前、初めて陸地に進出したのは藻類、あるいはコケ植物(地衣類)であろう。村田さんの指摘する通り、現生種から古生種へとそのままスライドできないが、しかし現生種がより適応的であったことから考えれば、多くの重要なヒントを与えてくれる。

スギナに似たシャジクモという藻類がいる。海底に根らしきもので支え、水中で直立できるので、(海といっても大地は続いているので)、そのまま陸上へと進したという仮説を聞いたことがあるが、残念ながらこの説は陸生できる体へと進化した証が見つからないため否定されているようだ。ただ、このシャジクモは淡水藻である。

陸上への進化において、「淡水」ということは注目すべき点である。陸上の水はすべて淡水という当たり前のこともさることながら、現実に直接の上陸のきっかけと考えられる地衣類であるゼニゴケやスギゴケ。この現生種はすべて淡水生であり、海水生のものはない! 初期の植物の化石はいずれもかつて水辺であった所で見つかっており、それは「塩分濃度の高い海」ではなく「塩分濃度がゼロに近い淡水域」なのである。

次に脊椎動物史。大きく単純化すれば、魚類→両生類→爬虫類→(鳥類・哺乳類)という図式が描かれるが、3億年前陸上進出を成し遂げたものはもちろん両生類である。魚類から進化したと考えられるが、その過程を推察するのに最適の生きた化石として肺魚がいる。

肺魚の生息地は、湖や湿地帯であったり、いわゆる汽水域(海の水と川の水が交わるところ=海水と淡水の「あわさ」)であったりである。肺魚と言えば、食道の一部が膨らんだ原始的な肺を持っていることで有名であるが、この膨らみが陸上動物では複雑な血管で酸素を吸収しやすくした本格的な肺に進化し、魚たちは、空気の量を変化させて、浮力を調節する浮き袋へと改造していったと言われている。その意味で進化論上重要な魚であるが、…この肺魚は決して海水で生存しているのではない。

現存する化石や進化途中の現生種からいえることは、植物も、脊椎動物も海から直接上陸したわけではないようだ。その「海水と淡水のあわさ」の領域である「汽水域」を経て、あるいは「淡水と陸とのあわさ」の領域である「淡水域(塩濃度が極めて低い地域)」から上陸していったのである。

思うに、海から陸への適応条件(乾燥防衛、肺呼吸、対重力のための体を支える仕組み、温度変化、有毒物質アンモニアの処理)などなどを考えると、実にさまざまな困難課題が横たわっており、この海生圏と陸生圏とでは生命体にとってはまさにパラダイム転換(構造転換)であり、生殖構造も含めた新しい生命維持システムの転換が要求されただろう。

しかし、その転換は「あわさ」という海生圏と陸生圏の混濁した緩衝帯を通して行われているのである。つまり、【構造転換は決して不連続線なのではなく、それは連続した積層進化を遂げている。しかし、そのためには二つの構造の重なり合った「あわさ」を突破しなければならない】、それが生命の上陸作戦の第一のメッセージである。

参考資料:『生命40億年はるかな旅』(NHK出版)、『生命進化40億年の風景』中村運(化学同人)
関連サイト リンク

吉国幹雄

2013年6月24日 (月)

現に社会福祉を学ぶ者から見ても...

私は現在、文学部の中に設置されている社会福祉学科に在籍しています。今年度から4年生になりますが、正直言って社会福祉に対する大きな懐疑の念を今まで抱いてきました。講義を受ければ受ける程、この「近現代の西洋からの輸入概念」が胡散くさい欺瞞のかたまりに思えてきて仕方がありませんでした。しかし私は常日頃はその重要な問題に背を向け、もっぱら大学祭サークルでの活動の方に熱中してきました。
 
 でもここで、少し考えてみたいと思います。

 もともと社会福祉とは、貧困生活者が激増した産業革命期のロンドンにおいて、彼らを救済しようとする周囲の民間人の「善意」が生み出したものです。ですから全ての問題の根源は、既にその発生起源にあるといえます。すなわち、安易な善意を短絡的に貧困者に向け、彼らの生活を直接援助することで「自己満足」してしまった浅はかさ。問題の本当の原因はそんな貧困者たちを生み出してしまった社会の仕組みにこそあるのに、その真実を当時のロンドンに住むどれだけの人が見抜いていたのでしょう。
 
 それだけではありません。その救済活動が概念化(=観念化)され、肝心な社会の根本的問題の世界とは直接無関係な世界として(つまり平行進行で)発展していったばかりか、こともあろうにこの事件の真犯人である社会(=国家、政府)と手を結び、「社会」福祉と成ってしまったことで、事態は更に悪化します。

 こうして、本来根本的な問題をその構造内に抱えている近現代の私権社会は、大変便利な道具としての社会福祉を手に入れたのです。根底にある問題の存在を常に見えにくくさせ、人々を代償的な問題解決方法・安易な活動に走らせる観念だからです。当然二者(社会問題と社会福祉)は世界を異にして、常に福祉の方が問題によって振り回されています。

 私が心底恐ろしいと感じるのは、大学の学科の先生の中に、そうした社会福祉の存在意義そのものを問うレベルにまでテーマを掘り下げて追求している方が(私の知る限り)いないという事実。もう最初のスタートから社会福祉を無思慮に肯定してしまっている、まあそれでメシ食ってる方々なので酷な注文かもしれませんが。

 そしてもう一点、大学は援助者養成の専門学校に堕していて、授業では社会福祉の理念としておぞましい程の旧観念ワードのオンパレードで攻められます。例えば障害者の人権、自由、自己決定権、個々人のニーズを尊重してetc...全て個人・自己という視点でしか見ていない、もともと「援助」という観念自体が西洋の個人主義によく似合います。

 「じぶん」という観念が弱く、「みんな」で生きているという共認充足に基づく生活観念ならば、元来「援助」などという概念の出る幕はありません。日々「助け合う」のは呼吸と同じくらい当然のことで、期待・応望の相互作用が生み出す活力は、人間の本来的な生き方にとって酸素も同然のもの。

 社会福祉は私権時代に造られた概念としてのひとつの象徴だから、どうしても「個々」から抜け出せない。本源的価値に人々が収束してゆく次代に、もはや社会福祉も無用のものに違いないと、やはり私も思います。

ペンネーム ジャック・ダニエル

2013年6月21日 (金)

個間闘争(圧力)はすべての生物集団に備わった圧力ではないでしょうか

村田さんの言われる「個間闘争(個間圧力)を陸上進出後」とすると、どうもいろいろ説明つかない現象が多いように思います。
例えば、魚類のすみわけ(縄張り)をどう説明するのでしょうか。縄張り本能は個間圧力を生み出す原初の本能ではないでしょうか。

私は、縄張り本能は集団本能と共に単細胞生物から備わっている極めて根源的な本能であると思います。

縄張り本能は、精巣本能、性闘争本能につながり、性闘争本能では村田さんの展開される生殖のあり方が重要な鍵になるとは思います。が、縄張り本能は、もともとは個体間の距離を保つ(個体同士の反発の圧力を持つ)というところが原点にあると思います。バクテリアのコロニーを見ても分かります。それは、繁殖と集団防衛のためだと思います。

また、受精という局面を体内受精と体外受精にわけて、体外受精では特定のオス・メスの交尾がないので個間闘争(個間圧力)が働かない、とするのにも無理があります。魚類や両生類が見せるメスのオスを呼ぶダンスは、明らかに自然圧力でもなく種間圧力でもなく、集団内部に圧力場(活力場)を創出しています。また、メスの出すホルモンによっても場が活性化されています。さらに、オスは縄張り内に入ってきたオスを攻撃します…。

もちろん、個体間闘争を「特定のオス同士のメスと餌をめぐる性闘争」と捉えた場合は、村田さんの言われるように、陸上に上がってから、しかも哺乳類以降激化するというのはそのとおりだと思います。

ただ、個体間闘争(圧力)というのは、種(集団)が適応戦略上内部に作り出した圧力(活力)であり、種間圧力・自然圧力に抗するための適応可能性を高めるための戦略であるので、それは、あらゆる生物集団が備えている圧力構造だと思います。

吉国幹雄
 

2013年6月18日 (火)

生物の地上進出 個間圧力の登場(仮説)

カンブリア紀の生物の大爆発は、地球環境の中では、海中という生命起源の共通環境の中での出来事です。もちろん、酸素濃度や種間圧力―肉食動物の本格的登場等で、適応圧力は異なりますが、細胞・生理環境としては真核生物の登場と同じ環境です。

生命・生物の地上への進出は、シルル紀の植物の地上進出が始まりです。地質年代の呼び名は沢山でて来ますが、『やまびこネット進化論」の解説が、大変見やすく良いですね。
リンク

そこで、生物の地上への進出について、検証すべきことがあるのかないのかを含めて考えて見たらどうでしょうか。

論点を、三つ程あげます。

先ず第一は、地上への進出は、海中での種間(闘争)圧力から、海中での圧力に押されて(負けて)、地上に逃げ延びなければならなかった生物から、地上環境への適応として進化したかどうかです。弱者が、過酷な地上環境にかろうじて適応する事によって、高度な機能(乾燥に耐える表皮など)を獲得して、海中の生物に比して、より高度な構造へと進化適応したと見ることができるかどうかです。
ここでは、自然圧力が種間圧力に変わって、再登場する。過酷な地上環境だが、それが、一方で「可能性の場」として開かれたといえるのかどうかです。

二つ目は、地上への進出は、植物、昆虫類、軟体動物、そして脊椎動物(両生類)と、どの種類が地上種の優勢となるわけでなく、あらゆる生物の種類が、ほほ並行して、地上進出をしている。
共生とは多様性の観点からみて、どう見えるかです。
種間闘争(共生も入れてよいと思いますが)という構造は、海中から地上へ丸ごと移って行ったのだろうか。

最後が、地上進出での性と生殖の構造として、何が原理的に加わったかです。

海中での生殖(有性生殖)は、一般には海水中への卵子、精子の放出と精子の運動による受精によって、実現します。幾つかの例外はありますが、魚類、甲殻類、軟体動物(貝等)はこの形式です。

しかし、地上に進出すると、この受精の場である『海』は存在しません。体外に卵子、精子を放出したら、乾燥して卵子、精子が死んでしまいます。
この受精の場「海」を雌の体内に用意しなければなりません。
必然的に、オスの精子をメスの体内の『海』に取り込む、オス・メス交尾という生殖形式が必要となります。

海中での有性生殖は、繁殖期にオス・メスが群れをなして、卵子精子の放出を行えばよいので、個体という位相は、本質的には不要です。

これが、地上進出での交尾となると、特定のオス・メスの交尾になりますので、個体が特定される。或いは、一つの個体(オス)によって、他の個体(他のオス)が、生殖局面で排除されます。

個間闘争(個間圧力)という原理は、生物(動物は鮮明です。植物は一寸違うかもしれませんが)の地上進出によって、はじめて成立したのではないでしょうか。

村田貞雄

多様性と適応放散

>多様化がそのまま構造転換を引き起こすようでは、そもそも基底構造が成立していない(種の存立基盤がない)わけで、それでは協働性を持った同類にならないわけです。だから、万が一そのような因子が発現されれば排除されるだろうし、それを生み出さないような(集団を突き抜けない範囲での)多様性の確保ということになります。その一つの維持システムが「性システム」なわけです。多様な同類他者を生み出すシステムであると同時に、変異可能性を蓄積するシステムであり、同一性を保持するシステムです。

このくだり、とても納得しました。

あくまで、種としての同一性を保ちながら、免疫学的な多様性をいかにつくっていくのか、そういう適応戦略の最先端の形が、性システムだと思われます。

それで、あらためて、進化の大爆発(適応放散)を見ると、生命の根幹のシステム(主に生理機能。代謝・呼吸、エネルギー転換機能など)は、突然変異でちょっとでも変わってしまうと、遺伝子群の協働にほころびが生じるわけで、適応にとってマイナスに作用することがほとんど(死ぬか、かたわで不適応になるかどちらか)。基本的な生理機能以外の形態や行動戦略(たとえば捕食戦略を採るとか)の多様化で、あらたなニッチに進出し、その新しい場で他の生物群との共生・競合関係におさまる。こうして、あらたな機能が種に定着していったと思われます。

その多様化に貢献したのが、基本的生理機能を損なわず、多様化や先鋭化をもたらす「性システム」だった、というわけですね。

むしろ、外圧が強烈にかかるときは、多様化というより「淘汰」のベクトルが強く働きます。劇的な環境変化は、あらゆる生物にとって強烈なインパクトになり、それらの生物がそれまで占めていたニッチをどう守り抜くか、その為に最先端の適応機能をいかに研ぎ澄ませていくか、そんな戦略を模索するのが主要であるような気がします(そんな時に、危ない賭けみたいな実験をやたらと繰り返すようなマネはしないような気がする。むしろ、種内の多様性を保っておいて、来るべき激変に備えておくといったイメージか?)。

外圧の強まりが進化を促すと言うより、むしろ外圧が(相対的に)ゆるむことが進化の爆発の促し(たとえばカンブリア紀のような)、その爆発に伴うニッチの飽和と適応機能の先鋭化というプロセスを経て、一旦分岐した生物種が淘汰され、安定状態になるものと考えられるのですが、いかがでしょうか。

生命の歴史上、大量絶滅が六度あったと言われています。生命は激変が起こるまではひたすら多様化し、環境の激変で生物の多くはごっそり死滅する。しかし、多様化した生物群の一部は、その関係性(多様な協働の形態)を維持・発展しつつ新たな環境に生物群として適応機能を先鋭化していき、その壁を超えた機能を身につけ、相対的に外圧が下がった状況で一気に、新たな環境(ニッチ)へ適応放散(一部枝分かれして別種に…)していく、というのが、私の進化のイメージです。
 

蘆原健吾

2013年6月12日 (水)

集団(統合)適応と共生(取引)適応は調和する

>武力に基づく占有力そのものは闘って得られる男原理の力であり、それを占有権に換骨奪胎したのが性権力を武器とする女原理である。男は力、女は権、この男と女のせめぎ合いが、私権社会の在り様を、根底的に
規定している。(実現論2_3_05)
>占有権力は闘い取って得られる男原理の権力であり、性権力は解脱の弱点に付け入って得られる女原理の権力であるが、両者の力関係は、生存圧力→私権圧力の強さによって大きく入れ替わる。(実現論2_5_02

集団(統合)適応の原理、共生(取引)原理という言葉で思い出すのが「実現論」で言う男原理・女原理です。集団(統合)適応の原理≒男原理で、共生(取引)原理≒女原理であると考えられます。だとすれば、この二つの適応原理はオスメス分化した段階で既に登場していたはずで、それだけ根底的な適応原理だと考えられます。だとすれば、この二つの適応原理は対立するものではなく、調和するもののはずです。

例えば、
哺乳類の序列本能も集団(統合)適応の原理ですが、その土台となる親和本能や追従本能は共生(取引)原理のような気がします。共認機能の中でも、課題共認・闘争共認のレベルは集団(統合)適応の原理ですが、その土台となった、原猿同士の解脱共認、首雄と雌との雄雌解脱共認は共生(取引)原理のような気がします。人類の精霊信仰も共生原理(≒女原理)の賜物だった可能性も感じます。これは縄文時代の土偶や祭祀を司った巫女が女であることからの直感にすぎませんが、精霊信仰が自然圧力に対する共生的な適応の契機となったわけですから、あながち的外れではないと思います。

だとすれば、闘争圧力に対して、生物は共生適応の原理で適応を試みるが、それだけでは闘争圧力に適応する答えにならないので、それを土台にして集団(統合)適応の原理で適応を試みる、そして先端機能が形成される、というのが生物の(一般的な)適応の在り様ではないでしょうか。人類も例外ではないようです。

とすれば、市場という共生原理を土台にして、集団(統合)適応の原理で新たな先端機能が登場することになるはずです。


冨田彰男

2013年6月 9日 (日)

原猿の起源がさかのぼる

4月25日の朝日新聞に「真獣類最古の化石 1億2500万年前(恐竜絶滅6000万年前)樹上で子育て 中国で発見」という記事がありました。

~真獣類の化石記録はこれで一気に4000万年さかのぼり、約1億2500万年前(中生代の白亜紀前期)まで跡づけた。恐竜絶滅より6000万年も前で、ティラノサウルスの登場以前。彼らはマウスほどの大きさで、恐竜を避け、樹上生活で生き抜いたらしい。現生の哺乳類は3グループあるが、有袋類・単孔類(カモノハシなど)は少数派で、母親が胎盤を持つ真獣類が圧倒的。(中略)専門家は「骨格から見て、妊娠期間は短く、ごく小さな子どもを産んで、おなかにぶら下げて育てていたのではないか。歯の特徴から、動物の死体や虫を食べていたらしい」と論評を寄せている。~

化石の写真と復元図を見る限り、両手両足で枝を掴める原猿のようです。

実現論1_3_03に次のようにあります。
>大型爬虫類の絶滅という環境変化によって、小型爬虫類や猛禽類や初期肉食獣が多様化し繁殖していったが、この環境は(相手が10m級の大型爬虫類であるが故に、体長10~20cmのモグラは充分に「隠れ棲む」ことができたが、相手が小型爬虫類や肉食獣になると)モグラ類にとっては、大型爬虫類の時代以上に危険な生存状態となった。この危機的状況ゆえに、モグラ類は急速かつ多様な拡散適応を遂げ、現在に繋がる様々な哺乳類が登場することになる。(それらの中で、樹上逃避することによって適応していった原モグラが原猿である。)

上記の記事が事実だとすれば、実現論の記述は少なくとも1億2500万年前までさかのぼり、大型爬虫類全盛時にすでにモグラ類は拡散適応を遂げ、樹上逃避することによって適応した原猿が存在していたことになります。真獣類がさかのぼるということは、彼らの外敵であった小型爬虫類や猛禽類や初期肉食獣(有袋類や単孔類)も1億2500万年前までに多様化し繁殖していたのでしょう。


冨田彰男 

2013年6月 6日 (木)

性システムと生殖構造との関係

>つまり、生殖過程での「卵」に対しても、全く違う適応圧力が加わってくると思います。<(29753、村田さん)

この点は同意です。ありとあらゆる生命体が適応態である限りにおいて、「卵」も当然自然圧力から種間圧力へという変動場に晒されるわけですから。

>何かと言いますと、「より大きな幼体で生まれる方が有利になる」ということです。
捕食、被捕食の関係は、単純化すれば、大きな動物が小さな動物を食べるという関係ですから、新しく生まれる幼体が大きければ大きい程、生存できる可能性が高まります。<(29753、村田さん)

この点がどうもすっきりしません。種間闘争の制覇力が(力の論理に基づいて)、「体の大きさに可能性収束する」というのは、生物の進化史を通して一般に言える事です。その根源的動因は真核生物に特徴的な機能である食作用でしょう。他の生物を「膜」を通して捕食するにはサイズが大きい方がよい、大きなサイズになるためには幼体は大きいだろう、というのは分かるのですが…。

幼体が大きければ大きいほど生きる可能性が高いというのは、短絡しすぎではないでしょうか。種間圧力が主圧力となっているわけですから、対敵闘争力の劣る幼体で、しかも体が大きいということは、逆に栄養豊富な餌になる可能性が高くなるのではないでしょうか。

人工飼育という特殊条件下の話にはなりますが、熱帯魚を私は飼っているのですが、エンゼルフィッシュが卵を産むときには、メスの回りには他のエンゼルフィッシュたちが待ち構えているのです。藻に卵を産み付けたとたんに、我先にと争ってその卵を食べます。他の熱帯魚は遠巻きにチャンスを伺っている感じです。おそらく、それでも淘汰されて生き残るものが(運も含めて?)強い卵として生存していくのでしょうが。体外受精においては、大きいということは目立つことであり、敵に見つかりやすい。だから、大きな卵の誕生はカンブリア紀から約3億年後の爬虫類誕生(体内受精という機能を獲得した)以降の話だと思います。

卵に殻を持たせ、卵自らの適応機能を高め(爬虫類)、さらにそれだけでは種間闘争に負けるので、親が関わるようになっていくという流れでしょう。親が育てるには大きすぎても大変(鳥類)、体内保育ではさらに小さくする必要がある(哺乳類)、という流れでしょうか。爬虫類の多様化の説明は、村田さんの話でかなりすっきりいくと思いますが。

>カンブリア紀の大爆発は、単に種の多様性をもたらしたのではなく、成体の生殖構造(雌の生殖負担増大)、そして幼体を庇護する「子育て構造」をも可能性(収束先)として成立させたといえます。<(29753、村田さん)

生殖構造が変化するという点は、生殖が種の存続に関わる根源的機能であるので、種(生物学的構造)が変わるためには、生殖構造・子育て構造が変化したから可能になったという指摘は正しいでしょう。また、一気に変わるためには、生殖においてもその変異可能性はすでに蓄積されていた、ということも十分に考えられます。ただ、「性システム」と「生殖構造」とを分けて押さえておいた方がよいと思います。

真核生物の出現は21億年前。多細胞生物の誕生が10億年前。カンブリア紀が5.9億年前。その起源はこの会議室でも議論したところですが、現在の哺乳類に通じる「性システム」は多細胞生物の出現、藻類において見られる「有性生殖」からでしょうか。

この遺伝子組み替えのシステムは変わることなく続いています。

性とは、単純化すれば遺伝子組換えの為のメカニズムであり、同一性を保持し、多様性を蓄積し生み出すシステムです。一方、生殖は新しい個体を作り出す事であり、性とは直接は関係なしクローンを生み出すことも含みます。たとえば、大腸菌でも、ある個体から別の個体へ性繊毛を介して遺伝子を送る事ができますが、この遺伝子伝達は生殖とは関係がないわけです。そして、この「性」と「生殖」とが合体したのが有性生殖です。性システムと生殖の二つの構造が合体して新しい「有性構造」を生み出したわけです。

もっとも、村田さんが指摘されるように、「生殖構造」の方は「場」に合わせて新しい付加構造を作ったり転換構造を作っていきます。しかし、生物史を見る限り、性システムの方は絶えずその生殖構造から離れることはありません。だから、「性システム」の方が生命体にとってより根源的な位置にあるといえるのではないかと思います。


吉国幹雄

2013年6月 3日 (月)

カンブリア紀の意味①生殖過程への適応圧力

カンブリア紀の生命進化(爆発的種の拡張)は、性・生殖にも大きな構造転換をもたらしているのではないか。

生命進化の適応圧力が、自然圧力から種間圧力へと転化していくが、カンブリア紀は、この種間圧力段階の仕上げ時代であろう。

簡単にすると、捕食・被捕食の種間関係圧力が、自然圧力よりも完全に上位にくる段階です。

独立栄養の植物は、動物に食われる。小さな動物はより大きな動物に食われると言う関係が、生物の基底構造となった時代です。

今、話題となっている多様性の議論も、自然外圧という階層の上に、生物種間圧力というもう一つの階層が重なるのであるから、多種多様な可能性が生まれ、カンブリア紀の大爆発と言われる膨大な種の多様性が現出するのは、構造的必然といっても良いだろう。

この種間圧力は、共生という共存関係、共進化(例えば毒素をもつ植物とその毒素を無力化する酵素をもつ昆虫―この昆虫により受精を行う)、捕食行動(その為の運動機能の強化)と逃げる為の運動機能の強化が相互進行する等等、一端、共進化の段階に入れば、10の新しい種が生まれれば、その10の種間で、10×10の関係が、可能性として開かれる訳で、100の種を生み出していく。

自然外圧の要素(無機的な要素は、物質濃度、温度変化、PHなどなど)も少ない訳ではありませんが、しかし、無数、無限ではありません。
それに対して、生物種間の関係は、上記しましたように、一端そのサイクルに入ると、指数関数的に可能性(目標とする関係収束先)が広がります。

カンブリア紀に最終的に現出したものが、この生命の種間関係の可能性の「場」(自然圧力の上に積み重なる種間圧力という新たな階層の「場」)だと思います。

そして、この種間関係を性、生殖の過程として注目してみると違った側面が見えて来ます。

つまり、生殖過程での「卵」に対しても、全く違う適応圧力が加わってくると思います。

何かと言いますと、「より大きな幼体で生まれる方が有利になる」ということです。
捕食、被捕食の関係は、単純化すれば、大きな動物が小さな動物を食べるという関係ですから、新しく生まれる幼体が大きければ大きい程、生存できる可能性が高まります。
この大きく生まれるためには、大きな卵で栄養素を沢山保持し、各器官を大きく作り上げて、卵から発生してくる必要があります。

確かに、より沢山の卵を産むという「多産多死」という方法もありますが、「幼体巨大化」という方法が成立します。

この、幼体巨大化は、成体(主に雌)の生殖負担を重くします。
単に、性による遺伝子の組替えだけでは済まなく、安全で大きな幼体が生まれることが可能な「生殖構造」が必要になります。

雌の生殖負担を重くする「大きな卵」への転換です。そして、卵から孵化した幼体を安全域でより大きくする「子育て」、養育が登場します。
(現生の魚類にも、巣の中で卵を孵化させる「子育て」といえる行動様式が存在します。)

カンブリア紀の大爆発は、単に種の多様性をもたらしたのではなく、成体の生殖構造(雌の生殖負担増大)、そして幼体を庇護する「子育て構造」をも可能性(収束先)として成立させたといえます。

DNAに代表される遺伝子の段階から、成体の細胞群に組み込まれた「行動」本能が、決定的な意味をもつ段階(階層)に転換したのではないでしょうか。

村田貞雄

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