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2013年6月24日 (月)

現に社会福祉を学ぶ者から見ても...

私は現在、文学部の中に設置されている社会福祉学科に在籍しています。今年度から4年生になりますが、正直言って社会福祉に対する大きな懐疑の念を今まで抱いてきました。講義を受ければ受ける程、この「近現代の西洋からの輸入概念」が胡散くさい欺瞞のかたまりに思えてきて仕方がありませんでした。しかし私は常日頃はその重要な問題に背を向け、もっぱら大学祭サークルでの活動の方に熱中してきました。
 
 でもここで、少し考えてみたいと思います。

 もともと社会福祉とは、貧困生活者が激増した産業革命期のロンドンにおいて、彼らを救済しようとする周囲の民間人の「善意」が生み出したものです。ですから全ての問題の根源は、既にその発生起源にあるといえます。すなわち、安易な善意を短絡的に貧困者に向け、彼らの生活を直接援助することで「自己満足」してしまった浅はかさ。問題の本当の原因はそんな貧困者たちを生み出してしまった社会の仕組みにこそあるのに、その真実を当時のロンドンに住むどれだけの人が見抜いていたのでしょう。
 
 それだけではありません。その救済活動が概念化(=観念化)され、肝心な社会の根本的問題の世界とは直接無関係な世界として(つまり平行進行で)発展していったばかりか、こともあろうにこの事件の真犯人である社会(=国家、政府)と手を結び、「社会」福祉と成ってしまったことで、事態は更に悪化します。

 こうして、本来根本的な問題をその構造内に抱えている近現代の私権社会は、大変便利な道具としての社会福祉を手に入れたのです。根底にある問題の存在を常に見えにくくさせ、人々を代償的な問題解決方法・安易な活動に走らせる観念だからです。当然二者(社会問題と社会福祉)は世界を異にして、常に福祉の方が問題によって振り回されています。

 私が心底恐ろしいと感じるのは、大学の学科の先生の中に、そうした社会福祉の存在意義そのものを問うレベルにまでテーマを掘り下げて追求している方が(私の知る限り)いないという事実。もう最初のスタートから社会福祉を無思慮に肯定してしまっている、まあそれでメシ食ってる方々なので酷な注文かもしれませんが。

 そしてもう一点、大学は援助者養成の専門学校に堕していて、授業では社会福祉の理念としておぞましい程の旧観念ワードのオンパレードで攻められます。例えば障害者の人権、自由、自己決定権、個々人のニーズを尊重してetc...全て個人・自己という視点でしか見ていない、もともと「援助」という観念自体が西洋の個人主義によく似合います。

 「じぶん」という観念が弱く、「みんな」で生きているという共認充足に基づく生活観念ならば、元来「援助」などという概念の出る幕はありません。日々「助け合う」のは呼吸と同じくらい当然のことで、期待・応望の相互作用が生み出す活力は、人間の本来的な生き方にとって酸素も同然のもの。

 社会福祉は私権時代に造られた概念としてのひとつの象徴だから、どうしても「個々」から抜け出せない。本源的価値に人々が収束してゆく次代に、もはや社会福祉も無用のものに違いないと、やはり私も思います。

ペンネーム ジャック・ダニエル

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