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2013年11月30日 (土)

周りの不全を捨象しない

>彼らに共通するのは、自分がやってしまった事や失敗をなかなか真正面から受け入れられないこと・・・現実直視することが耐えられないので、周りの不全を捨象することで精神の安定を図っているようなふしがある。(106513)

 仕事上で大小さまざまなミスをして、それに関して指摘を受けるとき、いつも「(私が)怒られた」と思ってしまっていました。相手から攻撃されている、自分が傷つけられると考えてしまうのでどうしても頭の中では自分の守りに入ってしまって、自分が悪いんだとわかっていながらなかなか素直に相手の言葉を聞くことができずにいました。

 でも上記投稿を拝見して、自分の行動で周囲の人の役に立ったり、逆に不全を感じさせてしまうことがあるんだと、はっとしました。…私は今まで、自分の不全を捨象したいがためにまず周りの不全を捨象しようとしていたのだ、と。

 よく考えると、自分のミスは対象(お客さんである子供であったり親であったり仲間であったり社会であったり…)に何らかの不全を生じさせるもので、指摘してくれた人や他の仲間が私の起こした不全を解消してくれたり、または未然に防いでくれていたことに気づきました。

 ミスが発生しても現実直視⇒事実の共認⇒ミスの解決。そのためには最初の事実共認は欠かせない。それを妨げてしまうのが、自分の不全だけにとらわれてしまう「自我」。

 ミスをしたときこそ周りを見る。逆にミスをしないためには常に周りを見ること。いつも言われることですが、今後はさらに深くこの言葉を受け止められそうです。

お百姓さん 

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