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2013年11月 3日 (日)

“うち(家)の叱り方”は親の“エゴ”

>幼稚園の子供を持つ友達に聞いた話。「同じことをしたとしても、それぞれの家庭で叱り方(価値観)が違う。だからよその子を叱るなんてできないし、そんなことしたら母親間の関係がぎくしゃくする。」

最近の若いお母さんは、よそ様に気兼ねするあまり“子供を叱るのも人(家)それぞれ”という意識がけっこう濃厚になってきているようです。

たとえば、我が子がよそ様のおもちゃを壊した場合は「ダメ!」と叱ります。でもよその子におもちゃを壊されたときは「我慢しなさい」でおしまいです。一対家庭によって共同体が駆逐され、それまで共有してきた規範を喪失してしまった今となっては、人それぞれの規範(?)というのもやむなし・・・かもしれませんが、視点を子供にうつして考えてみたらこれほど不条理なことはありません。

同じ悪さをしても叱られるのはいつも自分だけです。おもちゃを壊されて悔しい思いをしてもそれは我慢しなければなりません。同じ悪いことなのに自分ばかりが責められる(我慢しなければならない)のな何で?ちいさな子供は言葉で問いかけることはしないでしょう。でもその代わり子供なりの答を出します。“仲間と関わらなければ(おもちゃの貸し借りなどしなければ)いいんだ”と。

また母親の言う“うちの叱り方”とはその人固有の価値意識です。共通の規範に則していない、ということは当人の気分(好き嫌い)次第でどうにでも変わるということです。母親の機嫌がいいときは軽くたしなめられ、機嫌が悪いときはとことん絞られる。常に母親の顔色をうかがいながら行動するようになるのは時間の問題です。

もしこれが一般家庭で行われている“躾”であれば、のちのち現実の仲間関係や社会の人間関係に対応(適応)してゆくことが困難になることもは容易に想像できます。一対家庭の中で孤立し、自らの価値意識(規範なき自我)によってしか躾ができない状況にある母親。そうして育てられ、現実や社会に適応してゆけなくなる子供達。子育てをめぐる母子の問題は、一対家庭のあり方を根本的に見直し、共同保育(そこには子育て規範の再生・共有も含まれます)の可能性を探ってゆく中でしか解決できないのだと思います。

阿部和雄

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