逆境に耐え抜いた哺乳類
哺乳類の進化とは、逆境にひたすら耐え抜いた歴史であったといっても過言ではない。
哺乳類祖先の誕生は、今からおよそ2億年以上前(中生代の三畳紀末期)と言われているが、中生代(三畳紀~白亜紀)1億5000万年以上にわたって、恐竜という巨大な爬虫類が、この地球上の制覇種として君臨していた時代である。
ここでまず哺乳類のとった適応戦略は、小型(およそ10cm前後)のまま身を潜めて生きる、という手段しかなかった。
大型種が徘徊する昼間は身を潜め、彼らが寝静まる夜中を行動の場とする。ここでは、暗闇の中で昆虫を捕獲する為に、聴力に磨きを掛けた。なお、この時点で
の哺乳類の活動範囲は、身を隠すのに適している樹上あるいは落ち葉などの下に潜り込むといった形であり、小型である体系はむしろ適応的であったと言えるか
もしれない。よって、中生代に爆発的な進化及び増殖をした恐竜とは打って変わって、1億5000万年もの間、哺乳類の体形は殆ど変わることが無かった。
しかし、その逆境下においても、小型の哺乳類は確実に進化を遂げていたのである。
以下、NHK地球大進化を簡潔にまとめられたページより。
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< もともと酸素濃度が高い環境で誕生した哺乳類の祖先も改革を強いられた。その多くが、次世代を確実に育てるための生育システムに関わっている。胎生で
子どもを生む、母乳で育てる。こうした哺乳類独特の生育システムは、実は低酸素対策から生まれた可能性があるという。胎生のほうが卵生よりも、多量の酸素
を確実に胎児に届けられるという側面がある。授乳をする基本的な体勢は、母親が横たわって身体をねじるという姿勢だが、こうした姿勢ができるのは、横隔膜
ができたことに伴って肋骨の下半分がなくなったことが大きく寄与している。横隔膜は哺乳類が呼吸効率の改善のために進化させたシステムである。次世代への
リレーを確実にすることで、哺乳類は未来を切り開いていったのである。
体系を小型に維持しつつ、エネルギー消費を体内機構の組み換えに向けていた事が、後の環境の激変に堪えうる機能の獲得へと奇跡的に繋がっている。感覚機能 の進化、脳の進化(大脳新皮質)、そして複雑な生殖機構としての胎内保育システム等、今現在の我々にまで引き継がれている重要な機構の多くは、既にこの時 期に確立されていたのである。
白亜紀が終焉を向える頃、植生の変化(裸子植物から被子植物へ)や、巨大隕石の衝突による急激な寒冷化など、生物全般にとっての逆境に対し、ひたすら大型化を目指してきた恐竜は絶滅。その後再び地球が温暖化を向える過程において、ようやく哺乳類の時代が幕を開けた。
しかし、哺乳類の時代の中でも我々の祖先である霊長類にとっての逆境は、まだまだ続いた。
地球に君臨した鳥(同じくNHK地球大進化より)
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< 霊長類の祖先カルポレステスにとって捕食者が恐竜→ディアトリマ→ハイエノドントと変わっただけで、木の実がなくなれば恐る恐る地上に降りて別の木に 移らなければならなかった。しかし温暖化がもたらしたものはそれだけでなかった。4400万年前の地層から広葉樹の巨木が発見されており、温暖化によって 広葉樹は地球規模の森を作り、その枝がつくる冠樹(隣り合う樹の枝が重なってできる)によって、ヒト、サルの祖先達は枝から枝へと移り渡れるようになる。 危険な地上に降りなくても、餌にありつけるようになったのである。
恐竜絶滅後の覇者は、恐竜直系の子孫である巨大鳥類の時代であった。あるいは、当時の地形において巨大鳥類のニッチとなったアジアにおいては、ネコ科の哺 乳類(ハイエノドント)が肉食獣としての進化を遂げ、他にも哺乳類の天敵としての蛇などを始めとする外敵の驚異は存在し続けた。後の大陸の変化により、 2mの肉食巨鳥ディアトリマはハイエノドントに駆逐され、地上は哺乳類の天下となったが、霊長類の祖先が地上に進出できるようなニッチが登場する事は無 かったのである。
小型で弱小な霊長類の先祖にとって、樹上は天敵から逃れうる快適な縄張りであったかもしれない。しかし、広葉樹が広がり、冠樹を形成するまでの間は、木から木へ飛び移る事は出来ず、移動の際、または樹上への攻撃から逃れる手段はまだ獲得していなかった。
しかし、冠樹の形成と共に、餌の無くなった木から木へ、あるいは天敵からの攻撃を逃れる手段として枝から枝へ飛び移る為の機能としての視覚の発達(立体視 91805 目に秘められた物語)を獲得して以降、漸く樹上の楽園を手に入れる事が出来たのが、霊長類であったのだろう。
ちなみに、霊長類に襲い掛かる逆境の歴史は、この後も続きます。なお、この立体視の可能となった視覚は、後の霊長類を襲う新たな不全に対し、共認機能の獲得へと結びつく重要な進化の一部でもあると思われます。
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