« 海水魚と淡水魚 | トップページ | 免疫とは-1 »

2014年8月28日 (木)

お互いの心と心が解き放たれ一つに融合したときに自分がなくなる

セックスで満たし満たされるには、テクニックうんぬんではなく、心と心がいかに触れ合えるかが重要です。心と心の触れ合いなしに心の満たしあい(真の性充足)なんて絶対ありえません。

では、「心と心の触れ合い」ってどういうことでしょう?

社会生活を営むうえでは心を開きっぱなしでは生活できませんね。
開きっぱなしだったらただのバカです。

そこで外向きの仮面(ペルソナ)を次から次へと作っていきます。
初めて会う人とはもっとも表層の仮面で接します。
ある程度仲良くなったら、仮面を一つ剥がして別の仮面で接します。
もっと仲良くなると、さらに仮面を剥がしていきます。
たまねぎの皮を一つひとつ剥いでいくプロセスに似ていますね。

つまり仮面とは「傷つきやすい自分の心をまもる防壁」といえます。
仮面=自分とも言えるかもしれません。
この防壁を剥がしていくプロセスが「仲良くなっていく」ということです。

この(仲良くなっていく)プロセスは仲間関係でも男女関係でも一緒です。
でも、仲間関係ではある一線は超えられません。
そこから先は聖域です。自分が心を許せるいとおしい相手にしか開けません。
その一線を超えられるのが男女関係だと思います。

自分のもっともセンシティブな部分(つまり心)を相手に対して開き、お互いの心と心が触れ合うとき真の満たしあい(真の性充足)があるんだと思います。

真の性充足が得られたときに「自分が無くなる」と言われますが、それはこの仮面(=自分)が無くなるということです。

そういう意味では、男女関係とは「いかに心と心をお互いに開き融合できるか?」という課題を解決するプロセスだと思います。

こういう心と心の触れ合いってとてもステキだと思います。
自分もそうなりたい。

でも、そう簡単には問屋は卸しません。
心を開く上で邪魔をするのが「自分のプライド」。
「相手にこう思われたい」「世の中的に女(男)はこうあるべきだ」などなど。
「自分のプライド」とは「自分の心を守る防壁」ともいえます。
だから「自分のプライド」を捨てるのは怖いんですね。

だからこそ相手を信頼し心をゆだねられたとき、何ものにも変えがたい真の満たしあいがあるんだと思います。

阿比留慎太郎

« 海水魚と淡水魚 | トップページ | 免疫とは-1 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

« 海水魚と淡水魚 | トップページ | 免疫とは-1 »

Ranking

  • にほんブログ村 科学ブログ 生物学・生物科学へ お勧めサイトランキングへ
2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

カウンター

最近のトラックバック

無料ブログはココログ